天皇誕生日

2019年令和元年)5月1日より在位中の天皇徳仁は、1960年昭和35年)2月23日生まれ(61歳)。

天皇誕生日(てんのうたんじょうび)は、日本国民の祝日の一つである。旧称は天長節(てんちょうせつ)。

日付は、第126代天皇徳仁誕生日である2月23日2020年令和2年〉以降)。

概要

宮中祭祀の主要祭儀一覧
四方拝歳旦祭
元始祭
奏事始
昭和天皇祭(先帝祭
孝明天皇例祭(先帝以前三代の例祭)
祈年祭
天長祭(天長節祭)
春季皇霊祭・春季神殿祭
神武天皇祭皇霊殿御神楽
香淳皇后例祭(先后の例祭)
節折大祓
明治天皇例祭(先帝以前三代の例祭)
秋季皇霊祭・秋季神殿祭
神嘗祭
新嘗祭
賢所御神楽
大正天皇例祭(先帝以前三代の例祭)
節折・大祓

天皇誕生日は、1948年制定の国民の祝日に関する法律(祝日法、昭和23年7月20日法律第178号)第2条によれば、「天皇の誕生日を祝う。」ことを趣旨としている。

天皇誕生日は、慣例により日本の国家の日とされる。昭和23年(1948年)までは、天長節(てんちょうせつ)と呼ばれていた(昭和天皇の誕生日が4月29日、祝日法施行が7月20日であるため)。

天皇誕生日の日付は、昭和63年(1988年)までは昭和天皇(第124代天皇)の誕生日である「4月29日」、平成元年(1989年)から平成30年(2018年)までは明仁(第125代天皇・現上皇)の誕生日である12月23日であった。

天皇誕生日に際しては以下の行事を行う。

一方で、皇后誕生日(こうごうたんじょうび)は地久節(ちきゅうせつ)と呼ばれるが(詳細後述)、第二次世界大戦前から国民の祝日にはなっていない。

君主制国家における国王誕生日と同様、在位中の天皇の誕生日に合わせて祝日が移動する(共和制国家では初代元首ないし当代元首の誕生日だけが祝日指定になっている事が多い)。

歴史

古代・中世

天長節の名は古く、皇帝玄宗の誕生日を天長節と祝った事に由来する。中国暦開元17年(天平729年)に「千秋節」と改められたが、19年後の天宝7年(天平勝宝元年748年)に「天長節」と改められた。「天長」は老子の「天長地久」より採られている。

日本では光仁天皇時代の宝亀6年(775年10月13日11月10日)に天長節の儀が執り行なわれ、臣下は天皇の好物のを献上して宴を賜った。

(これに先立つ9月11日10月10日)に

と勅が下された)、と宝亀10年(779年)の記録にも見られるなど平安時代は既に執り行なわれ、室町時代の記録として『御湯殿上日記』に記述がある。

近代・現代

明治元年8月26日1868年10月11日)に太政官布告で「九月二十二日ハ聖上ノ御誕辰相当ニ付毎年此辰ヲ以テ群臣ニ酺宴ヲ賜ヒ天長節御執行相成天下ノ刑戮被差停候偏ニ衆庶ト御慶福ヲ共ニ被遊候思召ニ候間於庶民モ一同嘉節ヲ奉祝候様被仰出候事」と布達され、9月22日(1868年11月6日)に天長節を国家の祝日として祝した。明治2年(1869年)は各国公使を延遼館へ呼び寄せて酒饌を賜い、明治3年(1870年)は諸官員、非職員、華族などが拝賀し、勅任官は禁中で、奏任官以下は各官省で酺宴(ほえん)を賜い、諸軍艦で祝砲が撃たれた。天長節の儀礼が整ったのは明治5年(1872年)で、同年の天長節の勅語で

と宣した。ついで奏任官以上の総代として太政大臣三条実美が、華族総代として従一位中山忠能がそれぞれ奉答した。明治6年(1873年)の太陽暦採用後は11月3日へ変更し、10月14日の太政官布告で国家の祝日と規定された。

後年、即位した天皇の誕生日にあわせて天長節(てんちょうせつ)が定められた。昭和23年(1948年)までは、年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ム休日ニ関スル件など太政官布告や勅令で具体的な日付が規定された。戦前は新年(現在の元日1月1日)・紀元節(現在の建国記念の日2月11日)・明治節(現在の文化の日11月3日)ともに四大節の一つとして、盛大に奉祝された。

7月30日明治天皇崩御・大正天皇践祚となった明治45年・大正元年(1912年)は、11月3日(明治天皇誕生日)に予定していた天長節を8月31日(大正天皇誕生日)へ変更する、新たな休日法(休日ニ関スル件)の施行が9月4日になり、天長節のない年となった。

大正天皇の誕生日は盛暑期で各種式典の斎行が困難であることから、翌年以降は2か月後の10月31日を天長節祝日として本来の誕生日を避けた。休日としても大正2年(1913年)に休日ニ関スル件が改正され、天長節祝日が制定された。8月31日は行事を催さないが休日であり、天皇誕生日による休日が年2回となった。

第二次世界大戦後の昭和23年(1948年)は祝日法が制定され、昭和24年(1949年)以降は天皇誕生日(てんのうたんじょうび)として国民の祝日と定められて現在に至る。祝日法制定に先立って行われた「希望する祝日」の政府の世論調査は、「新年の元日」に次いで「天皇陛下のお生まれになった日」が第2位であった。

2019年平成31年)4月30日に、日本国憲法及び天皇退位特例法の規定により第125代天皇明仁退位したため、2019年は1912年以来2回目、現行の祝日法では初めての天皇誕生日のない年となった。

2020年令和2年)2月23日、徳仁の即位後初の天皇誕生日の皇居での一般参賀は、新型コロナウイルス感染拡大の影響により中止された。

近代・現代史上での歴代天皇の天長節・天皇誕生日

天皇誕生日(天長節)による休日は、昭和23年(1948年)7月19日以前は年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ム休日ニ関スル件などの太政官布告勅令で、昭和23年(1948年)7月20日以降は国民の祝日に関する法律で日が規定される。天皇誕生日は皇位継承で自動的に移動・変更されず、法を改正して新たに天皇誕生日を規定する法令が施行される必要がある。

平成31年/令和元年(2019年)のように新帝誕生日(2月23日) - 譲位日(4月30日・5月1日) - 先帝誕生日(12月23日)の時系列になる場合は、必然的に天皇誕生日による休日がない年となり、他にも、明治45年/大正元年(1912年)のように先帝崩御日(7月30日) - 新帝誕生日(8月31日) - 新法施行(9月4日) - 先帝誕生日(11月3日)の時系列になる場合でも、天皇誕生日による休日がない年となる。

一世一元の制制定以降の天皇崩御・退位後の誕生日の扱い

休日ニ関スル件、国民の祝日に関する法律ともに天皇の誕生日は先帝崩御/退位・新帝践祚に伴い移動する。休日ニ関スル件は天長節に代わり先帝崩御日が先帝祭となっていた。国民の祝日に関する法律は原則として先帝誕生日は休日にならず、先帝祭に相当する休日も設けていない。明治時代以降、先帝誕生日が休日になった事例が2回ある。

明治天皇の誕生日:11月3日
明治天皇の誕生日である11月3日は崩御後に平日とされたが、崩御から15年後の昭和2年(1927年)に明治節として休日とされた。休日ニ関スル件時代に、国民の帝国議会への請願を受けて設けられた唯一の休日である。
第二次世界大戦以前は、大日本帝国憲法下で旧陸海軍の大元帥とされた天皇による観兵式が行われ、宮中席次第一階ないし第三階第二十七の者ならびに勲一等雇外国人および男爵ならびに大日本帝国駐剳各国大使公使らが宮中に召されて豊明殿宴会が催され、天皇が出席して勅語を発し、内閣総理大臣、大使、公使の首席が奉答の辞を述べて聖寿の無疆を祝した。
戦後は明治節に関係なく、帝国憲法の改正手続を経て昭和21年(1946年)11月3日に日本国憲法が公布されて、国民の祝日「文化の日」となった。当時の首相吉田茂は憲法制定を、当初は8月11日公布で2月11日紀元節)施行としたが、間に合わずに11月3日(明治節)公布で5月3日施行とし、意図的にそれまでの四大節に日程を合わせた。
大正天皇の誕生日:8月31日
大正天皇の誕生日である8月31日と、その誕生日(天長節)が盛暑期であることを理由とした10月31日の天長節祝日は、1927年(昭和2年)以後に明治天皇や昭和天皇のように再び祝日にはなっていない。大正期限定の天長節祝日は、のちの休日増加の端緒となり、昭和期は明治節を制定して休日減少を回避した。
昭和天皇の誕生日:4月29日
昭和天皇の誕生日である4月29日は、昭和64年(1989年1月7日の崩御直後に祝日法改正で「みどりの日」として国民の祝日とされた。平成19年(2007年)からは「昭和の日」と名称が変更され、現在に至る。なお、同時に「みどりの日」は5月4日に変更された。
明仁の誕生日:12月23日
平成時代(1989年 - 2019年)において祝日であった第125代天皇明仁の誕生日たる12月23日は、退位後(令和元年)より祝日ではなくなった。これは上皇誕生日を祝日とすることにより、在位中の第126代天皇徳仁との間で「二重権威」を生じさせるとの懸念が生じることから、天皇の退位等に関する皇室典範特例法の附則で定められたものである。

脚注

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外部リンク

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