新疆ウイグル自治区

民族構成はウイグル人のほか、漢族カザフ族キルギス族モンゴル族(本来はオイラト族である)などさまざまな民族が居住する多民族地域であり、自治州、自治県など、様々なレベルの民族自治区画が置かれている。中華民国時代には、1912年から新疆省という行政区分が置かれていた。

本来中国には時差が設定されていないが、新疆では非公式に北京時間UTC+8)より2時間遅れの新疆時間UTC+6)が使われている。

歴史

清朝以前

古代中国から西域と呼ばれたこの地域は中央アジアや中国との政治的・経済的な繋がりを古くから有し、オアシス都市国家が繁栄し、代と代には、中国の直接支配下に置かれた時期もあった。

隋煬帝大業五年(609年)、楊広が自ら隋軍を指揮して吐谷渾を征服、今の新疆南東部を実効支配し始めた。中原王朝が西域の実効支配もその時期から始めた。

唐太宗貞観十四年(640年)、唐軍が高昌を占領し、西州を設置した。また可汗浮図城において庭州を設置した。同じ年、高昌で安西都護府を設置。後庫車へ遷し、安西大都護府へ転換。

唐代後期、ウイグル帝国の支配下に入り、9世紀、ウイグル帝国が瓦解したのちも、ウイグル人の残存勢力による支配が続いた。

13世紀、モンゴル帝国の勃興によりその支配下に組み込まれ、チャガタイとその子孫による支配が行われた。16世紀に至りヤルカンド汗国が地域を統一したが、17世紀末ジュンガルに征服された。

清朝

1755年にジュンガルにおける清朝の領域はほぼ確実なものとなった。 1775年以降、ジュンガル征服(清・ジュンガル戦争)にともなってその支配下に入るに至り、「ムスリムの土地」を意味するホイセ・ジェチェン(Hoise jecen、回疆)、「故土新帰」を意味するイチェ・ジェチェン(Ice jecen、新疆)などと清朝側から呼ばれた。19世紀には各地で反清反乱が相継ぎ、ヤクブ・ベクの乱によって清朝の支配は崩れたが、左宗棠により再征服され、1884年中国内地並の省制がひかれて新疆省となった。

中華民国以降

辛亥革命の後、清朝の版図を引き継いだ中華民国に属しながらも、漢民族の省主席によって半独立的な領域支配が行われた。これに対して1933年1944年の二度にわたって土着のムスリム(イスラム教徒)によって民族国家東トルキスタン共和国の建国がはかられたが、国共内戦で東トルキスタン共和国のセイプディン・エズィズィと新疆省のブルハン・シャヒディらが中国共産党に帰順したことでこの地域は中国人民解放軍が展開し、1955年新疆ウイグル自治区が設置された。

1966年には自治区内に文化大革命が波及。こと文革に関しては、少数民族を多く抱える同自治区の闘争は中国の他地域と比較してある程度は抑制されていたというが、それでも一部で行なわれたモスクの破壊や紅衛兵同士の武装闘争により、混乱に拍車がかかった。

1980年代以降

文化大革命が終結し、言論統制の緩和がなされた1980年代から1990年代には、ウイグル人住民の中で、グルジャ事件など新疆ウイグル自治区における民族自治の拡大を求める動きや国外の汎トルコ主義者が独立を主張する動きも見られ、度々暴動テロが起きていた。長らく新疆を統治していた自治区党委書記の王楽泉2009年ウイグル騒乱の暴動の責任をとらされて更迭され、経済発展と民族融和を重視する張春賢が後任に就くもテロは止まず、2014年にウルムチ駅爆発事件が起きた際は当時ウルムチを視察していた習近平総書記国家主席が「対テロ人民戦争」「厳打暴恐活動専項行動英語版」を打ち出し、2016年には陳全国中国語版朱海侖中国語版を自治区党委書記と党委副書記兼政法委員会書記にそれぞれ抜擢して新疆ウイグル再教育キャンプなど徹底的な管理統制が行われるようになり、様々なハイテクを用いて一挙手一投足を住民は監視されていることから「世界でも類のない警察国家」「完全監視社会の実験場」が構築されたと欧米メディアや人権団体は批判した。

中華民国の主張

中華民国台湾)は、中国共産党の実効支配を認めず、新疆ウイグル自治区を新疆省と呼称しており、自国領土だと主張している。

地理

新疆ウイグル自治区の面積165万km2は中国の省・自治区の中で最大であり、中国全土の約1/6を占める(日本の約4.5倍)。ただし、面積の約4分の1は砂漠が占めており、これは中国の砂漠総面積の約3分の2に相当する。

新疆ウイグル自治区は中国の最西部に位置しており、東部から南部にかけて、それぞれ甘粛省青海省西蔵自治区と省界を接している。また、インドパキスタンアフガニスタンタジキスタンキルギスカザフスタンロシア連邦モンゴル国の8カ国と国境を接し、国境線の総延長は約5,700kmに達する。国境を接する国の数は、中国の行政区分で最大である。ユーラシア大陸到達不能極に位置する。

天山山脈は中央アジアと東アジアの自然国境とされ、カラコルム山脈は西南アジアと東アジアの自然国境とされる。カラコルム山脈は急峻な山々が峰を連ね、パキスタン国境にあるK2は海抜 8,611 メートルに達するエベレストに次ぐ世界最高峰である。

1931年8月11日、新疆ウイグル自治区北部でM8の地震が発生。地震研究のための貴重な資料として、当時の地震断層や地形の変化がそのままの状態で残されている。2007年4月19日、断層の保護作業が終了した。



行政区画

教育

住民

ホータンの日曜バザール

総人口は約1,900万人で、3分の2は漢族以外の少数民族である。自治区内の住民はウイグル人、漢族、カザフ人回族キルギス人オイラト族(カルムイク族)(民族区分ではモンゴル族)などの様々な民族で構成される。また、カザフ人、キルギス人、タジク人ウズベク人など、隣接する旧ソ連領中央アジア諸国と国境を跨って居住する民族も少なくない。

漢族の大量入植

自治区の北部・東部を中心に居住する漢族は、1954年に設立された新疆生産建設兵団を中心に、1950年代以降に入植した住民が大半を占め、急速にその数を増やしている。中国政府の公表する人口統計には、軍人の数が含まれていないことから、実際の人口比では、漢族の人口はウイグル人を上回っていると推測されている[誰?]。2003年の兵団総人口は257.9万人である。

1990年時点で新疆ウイグル自治区の総数が1499万人のうち、漢族が565万人。1995年には、総人口1661万人のうち漢族が632万人と、5年間で漢族人口は67万人も増加している。2000年には、漢族人口は約749万人となっており、5年間で117万人も増加しており、10年間で184万人の漢族が新疆ウイグル自治区において増加している。

漢族の大多数の地域

住民構成表

中国人民解放軍中国人民武装警察部隊に所属する軍人、および新疆生産建設兵団は含まない。

経済

ウルムチの中信銀行ビル

第一次産業としては、小麦綿花テンサイブドウハミウリヒツジ、イリなどが主要な生産物となっている。特にこの地域で生産される新疆綿といわれる綿は、エジプト綿(ギザ綿)、スーピマ綿と並んで世界三大高級コットンと呼ばれ、繊維が長く光沢があり高級品とされており、日米欧に輸出され高級シャツ、高級シーツなどに利用される。また、中国四大宝石の中で最高とされる和田玉ホータン市で産出される。この他、石油と天然ガスなどのエネルギー資源産業をはじめ、鉄鋼、化学、機械、毛織物、皮革工業が発達している。主要な工業地域として烏魯木斉、克拉瑪依、石河子(シーホーツ)、伊寧(イーニン)、喀什(カシュガル)が挙げられる。

エネルギー資源の影響で内陸部の割には2002年から2013年にかけて新疆の平均成長率は15%を超え、特に中国最大級の油田があるカラマイは2008年には一人当たりのGDPが中国本土で最も高い都市となった。

省都のウルムチは200万人を超える人口規模で中央アジア最大の都市タシュケントに匹敵し、中国北西部および中央アジアで最も高いビルである中信銀行大廈英語版(旧・中天広場)などの高層ビルで街並みは沿岸部の大都市のように近代化されている。

資源

新疆のツァイダム油田

新疆は石油天然ガスの埋蔵量が豊富で、これまでに38カ所の油田、天然ガス田が発見されている。新疆の油田としては塔里木(タリム)油田準噶爾(ジュンガル)油田吐哈(トゥハ)油田が3大油田とされ、独山子(トゥーシャンツー)、烏魯木斉(ウルムチ)、克拉瑪依(カラマイ)、庫車(クチャ)、塔里木の5大精油工場で原油精製も行われている。

新疆の石油と天然ガスの埋蔵量は、それぞれ中国全体の埋蔵量の28%と33%を占めており、今日では油田開発が新疆の経済発展の中心となっている。特に、西部大開発政策開始以降は、パイプライン敷設や送電線建設などが活発化している。これには、中国国内最大の油田であった黒竜江省大慶油田の生産量が近年では減少してきたために、新疆の油田の重要性が相対的に増していることも関連している。

交通

経済発展は、新疆に高速道路高速鉄道など交通網の整備をもたらし、烏魯木斉などを拠点とした道路が新疆のほとんど全ての郷・鎮を結び、更には青海省西蔵自治区カザフスタンパキスタンとも道路で結ばれるまでになった。

鉄道

1962年には蘭州と烏魯木斉を結ぶ鉄道の蘭新線が開通し、1990年には阿拉山口への延伸によってカザフスタンの鉄道に接続されたことで、中国各省と中央アジアを結ぶ鉄道の大動脈が通ることとなった。また、1999年にはコルラ-カシュガル間の南疆線も完成し、自治区最西端すなわち中国最西端までの鉄道が開通した。

航空

更には、面積が広大なことから航空への依存度が高まり、烏魯木斉の空港を中心として十数の自治区内の主要地を結ぶ航空網が整備されていった。その為、今日の烏魯木斉空港は、北京上海広州の空港とともに、中国5大空港の一つに数えられる程の拠点空港となっている。また西アジアアフリカヨーロッパとの国際線が発着することから、中国西北地域の玄関口としての役割をはたしている。

道路

道路は、新疆北部ではG312国道G217国道G216国道G7 & G30高速道路、3014高速道路(G3014 Kuytun–Altay Expressway)、3015高速道路(G3015 Kuytun–Tacheng Expressway)などが利用できる。新疆南部でもG314国道G218国道G315国道タクラマカン砂漠公路、G3012高速道路(G3012 Turpan–Hotan Expressway)などが整備されて、以前よりは便利さが増した。

環境問題

砂漠化

黄砂のもととなる、タクラマカン砂漠の砂嵐を捉えた衛星画像 (PD NASA)

新疆ウイグル自治区には、タクラマカン砂漠があるが、近年、過放牧によって草原が荒れて、砂漠化が進行している。その理由は、タリム盆地周縁のオアシス人口の急激な人口増加によるとされる。漢族の急激な入植による人口増加が主な原因とされる。

タクラマカン砂漠やゴビ砂漠(中国北部 内モンゴル・甘粛・寧夏・陝西)、黄土高原などにおける砂漠などは、黄砂の飛翔原でもあり、黄砂は日本を含む東アジアの広い範囲に被害を及ぼしている。

核実験場

新疆ウイグル自治区ではロプノール核実験場の付近を中心に、1964年から46回の中国による核実験が行われており、放射能汚染による地域住民の健康状態や、農作物への被害が指摘されている。

ウイグルの独立運動

世界ウイグル会議日本・東アジア全権代表を務めていたトゥール・ムハメットによると、中華人民共和国のウイグル人は、下等市民あるいは人間以下とみなされ、市民同士はトラブルを怖れて接触したがらないという。2013年10月末には、ウイグル人家族がガソリンを積んだ自動車で北京の天安門に突入し自爆する事件も起こった(天安門広場自動車突入事件)。

2009年のウイグル騒乱

2009年にはウイグル人の暴動が発生。武装警察の介入もあって、世界ウイグル会議によると死者三千人、中国当局によると死者156人となる惨事となった。[要検証] 主要国首脳会議(ラクイラ・サミット)に参加するためにイタリアを訪問していた胡錦濤(中国共産党総書記)が「新疆ウイグル自治区の情勢」を理由にサミットをキャンセルして三日後に急遽帰国するにまでに至った。

参考文献

関連項目

外部リンク

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