松城家住宅

松城家住宅(まつしろけじゅうたく)は、静岡県沼津市戸田にある歴史的建造物である。松城邸(まつしろてい)とも呼ばれる。2006年(平成18年)7月5日に主屋、文庫蔵、門などの7棟が国の重要文化財に指定された。

概要

明治時代の鬼川と松城家住宅

回船業を生業とした商家の邸宅である。屋敷構えが全体的によく現存しており、2006年(平成18年)7月5日に主屋、文庫蔵、門などの7棟が国の重要文化財に指定された。なかでも1873年(明治6年)の主屋は、和風建築を基調としながら、外観はベランダを設けた擬洋風建築という特徴的な設計となっている。屋敷内の壁や、天井のランプ釣りに静岡県を代表する鏝絵師・入江長八鏝絵が数点残されている。2018年(平成30年)から2022年(令和4年)にかけて、修復工事を実施している。

歴史

松城家について

松城家は戸田村で廻船業を営み、江戸時代後期には戸田から江戸や戸田から瀬戸内方面への船を運行していた。 1818年(文政元年)から1829年(文政12年)に起こった飢饉で当時の当主 秋元兵作鎮陳(あきもとひょうさくやすのぶ)が私財を投じて戸田村を救ったことにより、松城の姓と帯刀を領主から与えられ、松城兵作と名前を変え、それ以降松城家後継の名前は代々「松城兵作」となる。

2代目松城兵作は事業を米や穀物食品の輸送販売に拡大し、大阪、兵庫、中国地方へ交易を広げていき現在の松城邸を建てた。

3代目松城兵作は伊豆浦汽船会社の社長、田方郡会議員、静岡県会議員、1912年に衆議院議員、戸田村長を努めた。

建築の経緯

地元の大工である植田儀兵衛によって、1873年(明治6年)に上棟されたことが建築時の棟札から判明している。日本国内最古の擬洋風建築である。1872年(明治5年)のものと思われる家相図が残されているが、邸宅の西側以外には戸田大川から水路が引かれており、南門には船着石が設けられていることが図からわかる。

文化財指定

1999年(平成11年)に「主屋」を含む7棟が国の登録有形文化財に登録された。その後、2006年(平成18年)7月5日に敷地内にある「主屋」「ミセ」「文庫蔵」「東土蔵」「北土蔵」「門」「塀」の7棟の建造物が国指定重要文化財に指定された。

保存修理工事

2016年(平成28年)に保存修理事業として計画が立てられ、9月より調査が開始された。2017年(平成29年)3月7日、建物の保全と耐震化、調査を目的に初の大規模修繕工事が始められた。主屋は半解体、北土蔵、東土蔵、石塀などはすべて解体し、部材の修復を行ったうえで2022年(令和4年)3月までに復元する計画である。ポルトガル製の2階の天井クロスは張り替えられる。東京都荒川区に本部を置く文化財建造物保存技術協会が設計・管理を担う。大規模改修は1873年(明治6年)の完成以来初めてである。

工事により非公開とされるまえまで、松城家住宅は月に2回の一般公開を行っていた。2016年(平成28年)4月から6月の3カ月には、前年の同時期に比べ1.4倍の98人が見学に訪れている。修繕工事中も年1回は工事の進捗状況を紹介する説明会を実施するとしている。

松城家を利用したエピソード

  • 松城家では節分の豆まきの際、当主が「鬼は外」「福は内」と声を上げると、従者は「その通り」と声をかけたという。
  • 幕末のロシア提督エフィム・プチャーチンの娘オリガ・プチャーチナが返礼のために松崎家に宿泊し、その際ジョウダンノマが利用された。

建築・内装

2階建ての主屋と、ミセ、文庫蔵、東土蔵、北土蔵などの建物群と、外周の石塀、石積の庭塀蔵から成る。現存する蔵は2階建てで、味噌や米を貯蔵するためのものだった。

建築

外装

主屋

2階の外壁にみられる3つの窓のうち、右端の1つだけが本物の窓である。左側2つは外観上のバランスをとるために、漆喰で描かれた窓となっている。2020年(令和2年)3月の段階では撤去されているが、かつて2階西側南面と北側にはバルコニーが、最低3回は1873年(明治6年)から90年間で改造されている。当初は、西洋式のバルコニーを真似て建築したため簡易なものであったと推定される。棟端瓦については、松城家の家紋である木瓜紋が使われている。

門及び塀

正門には、伊豆石で作られた高さ9尺の門柱が左右にある。外周には、積層石切積の石塀が設置されている。

両袖堀付門

正門と主屋の間にはアーチ門があり、左右に石塀が設置されている。

文庫蔵

外壁は、上部を白漆喰塗り、下部を海鼠壁でできている。松城家を表すと言われる松の文様が外扉下に左右2箇所刻まれている。棟端瓦については、松城家の家紋である木瓜紋が使われている。

北土蔵

外壁は、白漆喰と海鼠壁でできている。1階には両開黒漆喰塗扉付きの戸口と、2階南面に両開白漆喰扉付がある。棟端瓦については、屋号で千(丸の中に千)紋が使われている。

ミセ

外壁は、大壁造り白漆喰塗りである棟端瓦については、松城家の家紋である木瓜紋が使われている。

東土蔵

外壁は、白漆喰と海鼠壁でできている。西面中央に両開黒漆喰塗扉付き戸口と、2階南面に両開白漆喰扉付窓が設置されている。棟端瓦については、屋号で千(丸の中に千)紋が使われている。

内装

主屋については、2階天井には、ポルトガル製とされる幾何学模様の紙が一面に貼られており、これは、明治当初の輸入品と言われている一方、2階の床は、畳敷きとなっている。 また、2階に設置されていたオイルランプは、戸田村に隣接する井田村住人がアメリカへの出稼ぎから帰る際、明治30年代に作成されたB・H社オイルランプを明治末頃寄贈したものである。ランプ吊り天井飾りは、いずれも漆喰で描かれている。

入江長八の作品

主屋には漆喰彫刻が施され、主屋2階の天井の龍と、主屋2階の廊下の雨中の虎が設置されている。 入江長八は鏝絵師として知られるが、松城家住宅には左官そのものの長八の技術が窺える特異な建築装飾も、2階の壁面に表れている。次の間の床の間一間が、奥行き20センチメートル弱の鼠色の壁面で、壁一面に着物のしぼり模様のような文様が刻まれている。壁面が湿っている状態で、薄い布をかぶせ、その布を軽くつまんで絞るように描かれたものと思われ、光を当てることで微妙に変化する壁面の肌合いを見せる工夫とみられる。 このほか特徴的な装飾に、掛け軸を土壁で描いた「寒梅の塗掛け軸」とよばれる壁画がある。掛け軸の四周を擦り切れさせ、軸は丸く盛り上がり、古びて見せるなど手が込んだものとなっている。1875年(明治8年)、長八61歳の折の作とされる。

以下に述べるのは、長八の手によるものとみられる天井に設けられたランプ掛けの装飾作品である。落款のない作品群であるが、鏝絵の特徴から長八作品とみられている。

牡丹
刀鍔の額縁の中に牡丹が3輪描かれている。1876年(明治9年)、長八62歳の折の作品とみられるが、落款はないものの「天祐之章」と書き判が残る。無着色で、長径102センチメートル、短径82センチメートルあり、松城家のランプ掛け装飾の中では大ぶりの作品である。
龍1
円形額縁の中に龍の姿が描かれており、龍の目玉は金銀の左右異なったガラスで出てきている。
龍2
天井からランプを吊るすための金具を取り巻く装飾である。円形のなかに龍の顔、脚、胴体を巧みにデザインし配置した作品で、玉眼と口にわずかに朱色を用いたほかは漆喰で描かれた鏝絵である。
秋の実り
1階の和室10畳間の天井部にあるランプ掛けの作品である。ランプを吊る金具部分は椎茸の裏面、その周りに里芋、くわい、柿、ぶどう、くり、あけびなどが多彩な色付けを施し、レリーフ状に描かれている。

参考文献

  • 静岡県教育委員会文化課『文化財ガイドブック 建造物偏』静岡県教育委員会、2000年
  • 創碧社『しずおかの文化新書 伊豆の長八・駿河の鶴堂』静岡県文化財団、2012年
  • 伊豆の長八生誕200祭実行委員会『伊豆の長八』松崎町・一般社団法人松崎町振興公社、2015年
  • 関賢助『左官教室』黒潮社、600号
  • 沼津市教育委員会文化振興課文化財センター「重要文化財 松城家住宅保存修理工事〜特別公開第1回〜」沼津市教育委員会文化振興課文化財センター、2017年
  • 沼津市教育委員会文化振興課文化財センター「重要文化財 松城家住宅保存修理工事〜特別公開第3回〜」沼津市教育委員会文化振興課文化財センター、2019年

上記のほか、静岡新聞等逐次刊行物を複数参照(脚注に記載)

外部リンク

Uses material from the Wikipedia article "松城家住宅", released under the CC BY-SA 3.0 license.