| 別名 |
エロクトロニカ MS-0501 Elektronika MS-0502 |
|---|---|
| 種別 | マイクロコンピュータ(PDP-11アーキテクチャ) |
| 発売日 | 1983 ДВК-1 (DVK-1) |
ДВК(発音:デー・ヴェー・カー、英語表記ではDVK)は、ソビエト連邦で1980年代初頭から中盤にかけて広く普及した16ビットマイクロコンピュータのシリーズ(ファミリー)である。開発元はНИИ точной технологии (НИИТТ, 精密技術研究所、ゼレノグラード)であり、その設計は、西側のミニコンPDP-11の技術を独自に模倣し、クローンとして取り入れたものであり、ソ連のコンピューティング史における重要な一歩となった。正式名称はДиалоговый вычислительный комплекс(ディアーラガヴィ・ヴィーチスリチェーリヌイ・コームプリェクス)であり、その意味は「対話型計算複合機」である。このシリーズの主な機種にはDVK-1, DVK-2, DVK-2М, DVK-3, DVK-3M2がある。
概説の後、各機種について順に説明する。
DVKの最も重要な特徴は、そのアーキテクチャがアメリカのDEC (Digital Equipment Corporation)社が開発したPDP-11ミニコンピュータと互換性を持つよう設計されていたこと("PDP-11のクローン"であること)である。
DVKはDEC社のLSI-11(PDP-11のマイクロプロセッサ版)をモデルとしており、DVKによりソ連の技術者はPDP-11向けに開発されたソフトウェア資産や知識を活用することが可能になった。
ただし、オリジナルのPDP-11はマルチユーザで使用できるOSを動かせるマシンだったが、ソ連において本機は、基本的にシングルユーザ方式で使用された。複数のDVKをネットワークで接続することはあっても、一つのマシンに複数のダム端末を接続するマルチユーザシステムの使いかたは、ソ連においては "より高性能なミニコンピュータやメインフレームの役割"とされた。
DVKで使用されたプロセッサК1801ВМ1/ВМ2は、ソヴィエト連邦内で製造された16ビットのマイクロプロセッサで、PDP-11の命令セットと互換性を持つ
内部バスは、DECのQ-Busに相当するソ連独自のバス規格が使用された。
DVKは、当時のソ連で最も普及したマイクロコンピュータのひとつとなり、主に以下の分野で利用された。

DVK-1は、DVKの最初の機種であり、1981年に開発され、1983年から生産・出荷を開始した。
DVK-1は、西側のパーソナルコンピュータと比較して対話型端末としての性格が強かった。
DVK-2は、DVK-1の設計を基にしつつ、外部記憶装置サポートを強化したことで、実用性が大きく向上し、DVKファミリーの主要モデルのひとつとなった。標準構成ではフロッピーディスクドライブ(FDD)を接続可能であり、本格的なOS(RT-11のソ連版クローンであるRAFOSなど)を動作させることが可能となった。多くの場合、専用のCRT端末である「15ИЭ-00-013」と組み合わせて使用された。 DVK-2は、研究機関や教育機関でプログラマの作業環境として広く普及し、後のソ連のパーソナルコンピュータ(例えばElectronika BK)のソフトウェア開発プラットフォームとしても利用された。。
DVK-3は、DVKシリーズの中核となるモデルであり、特にCPUの高性能化とメモリ管理の拡張が図られた。このモデルでは、プロセッサをК1801ВМ3などに更新、22ビット拡張アドレスバスを導入。これにより、搭載可能な主記憶(RAM)の容量が大幅に増加し、より複雑なプログラムやOSを効率的に実行することが可能となった。 DVK-3は、ソ連の多くの機関や学校で、より高度なコンピューティング作業のために採用された、堅牢で信頼性の高いシステムである。
DVK-3M2は、DVK-3の改良版である。主な改良点として、よりコンパクトな筐体や強化されたグラフィック機能が挙げられる。このモデルは、水中音響処理(ソナー)などの軍事用途や、教育現場での視覚的なプログラミング教育に利用された。 DVK-3M2は、1987年にソ連海軍北方艦隊が行った潜水艦探査作戦「アトリナ」において、水中音響処理装置「リツァ」の一部として船上に搭載され、データ解析に使用された記録が残されている。
西側のPDP-11用ソフトウェアがソ連内でクローンとして"移植"され、広く利用された。著作権の概念が西側とは異なっていたため、基本的にはソ連の技術者がリバースエンジニアリングやコードの再実装を通じて、PDP-11の主要なOSやプログラミング環境をDVKで利用できるようにした。
| 西側の元のソフト名 | ソ連のクローン名(英語表記) | 説明 |
|---|---|---|
| RT-11 | РАФОС(英:RAFOS) | PDP-11用のシングルユーザリアルタイムOSのクローンである。DVKの基本的なOSとして広く利用された。 |
| RSX-11M | ОС ДВК(英:OS DVK) またはФОБОС(英:FOBOS) | PDP-11用マルチタスクOSのクローンであり、より複雑な産業用途などに使われた。 |
| UNIX | ДЕМОС(英:DEMOS) | UNIX Time Sharing Systemのクローンである。ソ連国内で開発された最初の本格的なUNIX系OSであり、DVKを含む高度なPDP-11互換機で使用された |
| BASIC | БЕЙСИК (英:Elektronika BASIC) | BASICのインタプリタ。初期のモデル(DVK-1など)ではROMに書き込まれて提供された |
| FORTRAN | ФОРТРАН(英:FORTRAN) | 科学技術計算で広く使われたFORTRANコンパイラのソ連版が提供された。 |
クローンソフトはソ連の国内規格に合わせて修正や改良が加えられたが、基本的な操作感やプログラミングインターフェースはオリジナルのPDP-11ソフトウェアと高度な互換性を保持していた。
ソ連での呼称は、基本的にオリジナル名の頭文字を取るか、もしくはロシア語(キリル文字)で似たような発音になるように置き換えられた(下記例示)。あるいは単にソ連の規格名や開発コードネームが付与された。
DVKファミリーの各モデルの正確な開発完了や出荷開始の年月は、公的に確認できる文書が限られており、情報源によって差異がある場合がある。一般に知られている情報源に基づくとその時期は以下の通りである。
なお、DVK-2, DVK-3(DVK-3M2)は並行的に出荷され、用途や予算に応じて使い分けられていた可能性が極めて高い。これはソ連では生産計画や採用計画が硬直していたことや、異なる機関(軍事、教育、産業など)がそれぞれ特定のモデルを必要としたためである。DVK-3が開発された後も、DVK-2は基本的なワークステーションとしての役割を果たし続け、DVK-3や改良版のDVK-3M2は、拡張アドレスバス(22ビット)を備えていたため、より大容量のメモリを必要とする複雑な科学技術計算や、グラフィックを多用する教育・軍事システムといった高性能な用途のために使われた。
DVKファミリー全体の出荷台数について、正確な出荷台数や各モデルごとの内訳を示す信頼できる公的な記録を見つけることは困難である。しかし、DVKファミリー全体(DVK-1、DVK-2、DVK-3、DVK-3M2など)の総生産台数に関してロシア語の技術記事(Habr)は、1980年代半ばから90年代初頭までで16万台から18万台と推計している。
シリーズ最初のDVK-1は使いにくかったので出荷台数は少かっただろうと推定され、補助記憶装置が接続でき使いやすくなったDVK-2や、さらに性能向上が図られたDVK-3やDVK-3M2の出荷台数が多かっただろうとは推測されているが、詳細な出荷台数や具体的な割合は不明である 。
DVKファミリー全体の生産終了の正確な年月は特定されていないが、一般的に1990年代初頭まで生産が続けられたと考えられている。文献によっては、DVKファミリーを「1980年代半ばから1990年代初頭にかけてのソビエト連邦のコンピューターファミリー」と記述しており、ソ連崩壊(1991年12月)まで、あるいはその直後までDVKファミリの生産が継続されたことを示唆している。
ソビエト連邦の計画経済体制が崩壊した後、西側のより安価で高性能なPC(特にIBM PC互換機)の輸入が自由化されたことにより、DVKのようなPDP-11クローンの需要は急速に低下し、生産は段階的に終了したと考えられる。
当時のソビエト連邦は計画経済で運営されており、"生産手段"や"公共財"は、西側自由市場(資本主義社会)における「売買」とは異なり、計画的な配分と、それに伴う資金決済という二重の仕組みで流通していた。
物品の流通の根本原理は、中央政府による計画的な配分(分配)であった。