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| ジャンル | ファーストパーソン・シューティングゲーム |
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| 対応機種 | Windows 98以降(XPは対象外)、NINTENDO 64、ゲームボーイカラー |
| 開発元 | Ion Storm |
| 発売元 | アイドス・インタラクティブ |
| 人数 | 1人、マルチプレイヤー |
| 発売日 |
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『大刀』(だいかたな、Daikatana)は、アメリカのIon Stormによって開発され、2000年5月23日にアイドス・インタラクティブによって発売されたファーストパーソン・シューティングゲーム。日本では同年4月7日、ヨーロッパでは同年5月1日に発売された。
プラットフォームはWindows、ゲームボーイカラー、およびNINTENDO 64に対応。PlayStation版の開発は中止になった。
戦国時代、強大な勢力を持つ武将ミシマ・オオサカは、唯一自分に楯突く武将エビハラ・インシロウの存在にいら立ち、名鍛冶師ミヤモト・ウサギに刀を作ることを要請する。ウサギはそれを承諾し、伝説の宝刀である大刀を作り上げる。しかし、最初からあまりオオサカに肯定的でなかったウサギは、遂にオオサカを裏切り、オオサカと対立するインシロウに大刀を託し、オオサカの打倒を懇願する。インシロウは二つ返事で承諾し、ウサギから託された刀を駆使し、オオサカの打倒に成功する。しかしインシロウは、その刀の持つ強大な力に魅了され、約束を破って刀をわがものにしようとする。これに怒りを覚えたウサギは、インシロウから強引に大刀を取り返し、それを火山の中に投げ入れた。その後、ウサギはインシロウに殺された。それから何年も経った西暦2455年、世の中は荒廃し、致死率の高いMMPウイルスが貧困層に蔓延している(富裕層はワクチンによって助かっている)。ウサギの末裔ヒロ・ミヤモトが剣術道場で修業をしていたところ、トシロウ・エビハラという老人が訪れる。彼は、世界を支配しているカゲ・ミシマがワクチンの開発者ということになっているが、実際の開発者は自分の一族だと主張する。トシロウが言うには、一時は自分がその功が認められ、富と名声を得、その資金を伝説の宝刀“大刀”の発掘に費やし発見することに成功したという。その大刀には時空を超えて旅をすることが出来るという秘めた能力を持っており、エビハラ一族にとっては魅力的なものであった。しかし、その大刀がカゲ・ミシマによって盗まれ、その刀に秘められた能力を悪用し、昔に戻ってワクチンを開発したように見せかけ、それによってエビハラ一族は富と名声を失い、現在に至っているという。そして現在、トシロウはそのウイルスに感染し、死を待つ身となってしまった。そしてその一切を聞かされた娘、ミキコ・エビハラは怒りを露にし、単身カゲ・ミシマの基地に行き、復讐をしようとしたがあえなく拘束され、今も監禁されているという。そこでトシロウは、あらゆる能力に長けているヒロに、ミキコを救出し大刀を奪い返して欲しいと懇願する。しかしその後、トシロウはやってきた謀反者に暗殺されてしまう。ヒロはその遺志を継ぎ、単身カゲ・ミシマの要塞に赴く。
『大刀』は4つのエピソードに分かれ、合計24のマップがある。4つのエピソードは、25世紀の日本の京都、紀元前1200年の神話が形成されたギリシャ、疫病が流行した6世紀のノルウェー、21世紀のサンフランシスコと時代も場所も異なるエピソードである。
後に修正パッチのバージョン1.2がインターネット上でダウンロードできるようになった。これは上記の不具合を極力修正し、セーブジェムの概念を無くし(無限にセーブが出来るようになった)、サイドキックが本来ならば使えない無限回復装置“Hosportal”を使えるようになった。パッチはアメリカ、イギリス、ドイツ、スペイン、イタリア、フランスの圏内で発売されたもののみ適用可能で、その他の国で発売されたものに関してはパッチが無く不安定の状態でプレイしなくてはならなかった(ロシア語版や中文版など)。日本語版に関しては、一応バージョン1.1相当の修正はされている。しかし正式な1.1相当の修正ではないので、数々の問題を抱えている。例えば、セーブジェムの概念が残されていて無限セーブが出来なかったり(通常の1.1であれば無限セーブ可能)、マルチプレイをやろうにもバージョン違いで他国のサーバへの接続が不可能であったり等。
『大刀』では、経験値の概念がある。これは敵を倒した際に得られ、一定の経験値を得た場合に用意されているステータスに任意に割り振ることが出来る。最大レベルはそれぞれ5で、各エピソードによって上げられるレベルは決まっている。京都2、ギリシャ3、ノルウェー4、サンフランシスコ5。
主人公にはNPC(ノンプレイヤーキャラクター)としてゲームの進行とともに加わる仲間がいる。彼らはAIによって動いているが、5種類のコマンドによって行動に指示を与える事も可能となる。ただし、主人公と同じようにNPCが死んでしまった時にもゲームオーバーとなる。
発売時はMplayerと呼ばれる、ゲームにおけるネットプレイをサポートするサーバを提供する会社が存在していたが、やがて有料化しその後会社が無くなったので現状ではプレイ不可能である。Gamespyサーバも同様にサービスが終了している。
『大刀』はQuake IIエンジンを使用しているため、OpenGL対応ドライバもしくは3dfx対応ドライバが動かすのに必須。しかしQuake IIの場合、たとえどちらのドライバに対応していなくてもソフトウェアモードで動かせるのだが、『大刀』はソフトウェアモードでは動かせない。また『大刀』が発売された当初は、3dfxは基本的に非対応になっており、対応させるには設定ファイルなどを書き換えるなどして手動で対応させなくてはならなかった(1.1パッチを適用すれば、メニューから選択可能)。現在では3dfxドライバはほとんど使われておらず、このゲームを動かす際はパソコンがOpenGLドライバ対応になっていることが望ましい。
NINTENDO 64版に関しては、Windows版同様ファーストパーソン・シューティングであるが、Windows版でかなりの問題を抱えていたサイドキックのシステムを排除し、バグを除去し、メモリ制限でマップを短くしたものである。グラフィックの解像度は低く、後に発売された拡張パックを導入しなければ人の顔などの見分けがつかないほどである。暴力表現もWindows版より抑えられており、流血は血の色が赤から紫色に差し替えられており、PALバージョンでは流血はなく、火花で表現されており、市民は死なず不滅である。また倒した敵の死体もすぐ消える。
ゲームボーイカラー版は、ウィルが開発した見下ろし型のアクションロールプレイングゲームで『ゼルダの伝説』に多少似たゲームシステムがとられている。
いずれもコトブキシステムが移植を担当している。
武器は全部で25種類用意されているが、それらは各エピソードにそれぞれ6〜7個振り分けられ、他のエピソードでは使えない。またマルチプレイに関しても、その時代の武器が適用されるのでプレイ中は6〜7個の武器しか使用出来ない。また武器には自爆するものが多数ある(25種のうち15種)。
ブーストアイテムとは、取得すると一時的に該当するステータスを最大値に上げてくれる。取った時点で発動するので、マップを考慮して取得する必要があるが、シークレットエリアなど入り組んだ場所に多く置いてある。該当するステータスにポイントが最高値まで振り込まれていた場合は何も効果が無い。
ステージによってアイテムのデザインや効果が大きく変わる。それ以外は一般的なFPSと同じ。
これらもステージによってデザインや攻撃手段が変わってくる。
サイドキックは、プレイヤーが命令するためのボタンを押すと、そのボタンの命令に沿って動く。 なお、サイドキックはプレイヤーの向きを基準にしているので、命令した後プレイヤーが敵に背を向けると、サイドキックが敵に攻撃しに向かってしまう。
命令コマンドには、追従や助太刀をさせる"Come"、アイテムなどを取らせる"Get"、任意の敵を攻撃させる"Attack"、その場にとどまらせる"Stay"、プレイヤーの後ろに下がらせる"Backoff"がある。

本作の開発元であるION Stormは、id Softwareで『Wolfenstein 3D』や『DOOM』などのFPS作品のゲームデザインで知られるジョン・ロメロらが1996年に設立した。 中心メンバーにはid Softwareの設立者の一人で『DOOM』の開発期間中に退社したトム・ホール、元7th Levelのトッド・ポーター、アーティストのジェリー・オフラエティがいた。また、DOOMの広報キャンペーンに携わったマイク・ウィルソンがCEOに就任した。
ロメロはゲーム雑誌だけでなく一般のニュース系のメディアにおいても「新世代のゲーム開発者」として取り上げられることが多く、ゲームイベントやファンとの交流も積極的に行っていたため、id Softwareにとって象徴的な人物となっていた。 一方、グラフィックエンジンを開発してきたジョン・カーマックは内気な性格であまり表に出ていなかった上、同社に小規模な開発環境を保つよう意向を示しており、ロメロの提案が却下されることもあった。 4Gamer.netの奥谷海人は、ロメロがデザイナー本位の開発環境を手に入れるために『Quake』の開発が終わった段階で独立したのではないかと推測している。
ロメロら4人は各々でゲームの企画を立案し、リードデザイナー兼プロデューサーとしてチームを率いるという方針が立てられ、このうちロメロは1997年3月に以下の内容で本作の企画を発表した。
そして、当時『トゥームレイダー』で知られていたアイドス・インタラクティブがパブリッシャーとして選ばれた。
当初、本作は同年のクリスマス商戦に投入する予定が立てられており、カーマックは2001年6月のタイムとのインタビューで不可能だと話している。奥谷は企画から販売までの期間が短く設定された理由について、Raven Softwareの『Heretics 2』のように1年以内での開発の前例があったことや、「id Software時代、カーマックのプログラムの完成を待ってから、急いでゲーム開発を進めるのに慣れていた」ことなどを推測している。
ロメロを前面に押し出したキャンペーンが展開されたため、本作の開発は初日から遅れ、メディア向けのゲーム画面も用意できなかった。 さらに、ロメロが他社からの人材の引き抜きを敬遠するあまり、開発のノウハウをもたない映画関係者やMOD制作者を起用した結果、レベルデザインにばらつきが生じ、最終的にはロメロ自身が手掛ける羽目になった。
主人公であるヒロ・ミヤモトの名前は"Hero"にちなんでつけられ、苗字は宮本茂からとられた。
97年の6月のE3(Electronic Entertainment Expo)で、本作のゲームプレイデモが発表された。 そのころ、id Softwareも『Quake II』のデモ版を同イベントにて公開しており、同年のクリスマス商戦に投入して成功を収めていた。 これを受けてロメロはスタッフの技量が劣っていることを悟る。そして当初の発売予定日だったクリスマスを過ぎると、ロメロは思い切って『大刀』のグラフィックエンジンをQuakeエンジンからQuake IIエンジンに切り替えることを発表。発売は1998年に変更することにした。
『Quake II』が発売された後、ロメロはid Softwareから『Quake II』のエンジンを受け取り、『大刀』の作り直しに取り掛かった。最初は『Quake』の発展系だから新しいエンジンに慣れるのもそう難しくはないだろうと思っていたようだが実際は『Quake II』と従来の『Quake』はソースコードが全く違い、エンジンを切り替える事はそう容易ではないと分かった。そのため、ジョン・ロメロと彼のチームはQuake IIエンジンのソースコードに慣れるまで約11ヶ月もの歳月を要することになった。
1998年1月、マイク・ウィルソンが退社し、Gathering of Developersを立ち上げた。 加えて、ポーターが元7th Levelの社員を強引にIon Stormに引き入れたため、開発費も日増しに増えていくようになった。更に、ポーターは膨大な資金と上役の立場を利用して、7th Levelで開発を断念していたRTSゲームである『Dominion』の製作を強引に推し進めた。本作のつなぎとして発売された『Dominion』は『スタークラフト』の発売日と同じ日にデモをリリースしたせいもあり、多くのメディアから酷評され、最終的に6000本以下しか売れなかった。 これが当初期待を集めていたIon Stormの看板に傷を付けた。 トゥームレイダーブームの人気が落ちつあったアイドスは、Ion Stormの士気の低下をうけ、買収することによって経営の引き締めを図った。 さらにその後、本作の開発スタッフを含む十数人が相次いで同社を去り、ロメロとホールの周りに信頼できる人間は少なくなっていった。 同年、Looking Glass Technologiesの廃業に伴い、ウォーレン・スペクターがIon Stormに入社したものの、ダラスの本社ではなく、遠く離れたオースティンの支社にて『Deus Ex』の開発にいそしんだ。
そして1999年1月14日、ダラス・オブサーバーによってIon Stormに対する内部告発の記事が公開された。 また、同年の5月下旬には、ポーターに本作のゲームデザインを指摘されたロメロは、怒ってアイドスアメリカ支社に連絡し、5月25日にポーターとオフラエティは解雇された。
Ion Stormは1999年の1月までには、なんとかQuake IIエンジンの扱いにも慣れてきていた。「2月15日に製品版を発売する」という発表をした。この日程はずれたものの、3月にゲームのデモがリリースされた。しかしそれはモンスターや敵兵士は一切出て来ず、マルチプレイのみのデモであった。しかもその内容はDeathmatchだけという、まるでエンジンが動くかどうかのサンプルでゲーム性は皆無というようなものであった。デモを待ち望んでいたファンは大いに落胆した。
デモが失敗だったと認識したIon Stormは、次なるE3に向けて新たなデモ版の開発に取り掛かった。それは今まで平坦なマップだったのを、地面に高低などのリアルさを付け、フレームレートを12まで上げることに成功した(ファーストパーソン・シューティングゲームにおいてフレームレートは最低30は必要)。
1999年の12月17日には大体完成はしていたので、あとは数々のバグや、サイドキックの人工知能の修正、バランス調整などの補修のみとなった。しかし、それらの補修は当時のスタッフのレベルでは容易に修復することが困難であった。しかもそこにアイドスからの圧力が掛かり、すぐに発表せざるを得ない状況まで追い込まれていた。そして2000年4月21日に、『大刀』は正式なデモ版を発表、5月23日に製品版を発表した。
後に、ロメロの許可を得て、Quakeエンジンで作られたアルファ版"Daikatana pre-alpha"が公開された。
発売前のキャンペーンの中にはロメロの写真とともに"John Romero's about to make you his Bitch!"(ジョン・ロメロがお前を雌犬にするぞ)や"Suck It Down"(しゃぶれ)という公序良俗に反する文言が加えられたものがあり、これまでロメロに好意を抱いていた者たちも含め、ゲーマーたちから横柄だとして反発された。この広告は、『大刀』に期待をしていた人達の大きな衝撃をもたらした。「クールだ」と評価する者もいたが、大半はロメロに対して反感を持つようになってしまった。そして当時ゲームが発売されていないにもかかわらず、期待していた人達は次々と『大刀』に興味を示さなくなっていった。しかしロメロはそのようなことは露知らず、かつてid Software時代に稼いだ多額の資金をIon Stormのオフィスの資金(オフィスは当時ダラスの超高層ビルの最上階に存在し、数百万ドルという家賃)や開発費、食べ物や趣味(フェラーリを乗り回すこと)などに充て、世間では考えられないような“豪華”な制作活動を行っていた。また、当時としては珍しい女性ゲーマーでアメリカの『PLAYBOY』誌でグラビアモデルとして活躍していたスティービー・ケース(Stevie "Killcreek" Case)がロメロによって雇われ、レベルデザイナーとして『大刀』の開発に携わせた。そのことは雑誌やメディアなどで“ジョン・ロメロの恋人”として大きく報じられた。そのようなロメロの態度に社長を務めていたマイク・ウィルソンは激怒し、Ion Stormの社長を辞め、社内で同じ考えを持つ者をと共に新しいゲーム製作会社を設立する(後にバンドであるキッスを題材にしたファーストパーソン・シューティングゲーム、Kiss:Psycho Circus The Nightmare Childrenを発表)。
ロメロが1997年以内に発売すると公言した『大刀』は、最終的に2000年にまで発売日がずれ込んでしまった。その4年の間、『ハーフライフ』、『Unreal』および『Unreal Tournament』、『Quake III Arena』等の高度なグラフィックや人工知能、ゲーム内容の面白さを持ったゲームが次々と発表され、Quake IIエンジンを使って作られた『大刀』はもはや時代遅れであった。発売された後も、上記に述べたようなサイドキックの不出来さ、セーブする際にセーブジェムというアイテムが必要だということ、バグの多さなどからゲーム評論家からは多めに見ても“平凡かそれ以下”という評価を受けた。
『大刀』は世界中に20万本以上を出荷し、とりあえず掛かった制作費などの埋め合わせは済んだ。
その後、ロメロは紆余曲折の末、妻ブレンダとともにロメロ・スタジオを立ち上げ、ゲームの開発を行っている。
それからまもなく、Ion Stormから発売された『Deus Ex』が好評を博し、「2000年における史上最高の作品と史上最低の作品が同じ会社からリリースされた」と話題を呼んだ。
4Gamer.netの早苗月 ハンバーグ食べ男は2020年の記事の中で、本作のグラフィックについて、2020年の視点からでは20年前のゲームはこれくらいのものだろうと見られるとしつつも、本作の発売時期がFPSとハードウェアの進化の過渡期だったため、その当時の次世代機が「イケイケ」の風潮の中では見劣りするものだっただろうと述べた。ゲームデザインについては、「Romeroイズム」が出ていて悪くないとし、全体としてうまく出来上がっていたならば違う評価になり得たとしている。