| ファットボーイ・スリム | |
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ファットボーイ・スリム(2004年) | |
| 基本情報 | |
| 出生名 | Quentin Leo Cook |
| 別名 | ノーマン・クック |
| 生誕 | 1963年7月13日(63歳) |
| 出身地 |
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| ジャンル | テクノ、ハウス |
| 職業 | DJ |
| 担当楽器 | ターンテーブル、ベース |
| 活動期間 | 1985年 - |
| 共同作業者 |
ハウスマーティンズ ビーツ・インターナショナル フリーク・パワー |
| 公式サイト | FatboySlim.net |
ファットボーイ・スリム(英: Fatboy Slim、1963年7月31日 - )は、イギリスのDJ、プロデューサー。ビッグ・ビート・ムーブメントの先駆者であり、ファンキーかつメロディックなハウス・トラックが特徴。キャリア初期はノーマン・クック(英: Norman Cook)名義で活動し、ベースを担当していた。
ロンドン・ブロムリーに生まれ、サリー州レッドヒル で育ち、大学時代からブライトンに転居。
1985年にバンド「ハウスマーティンズ」にベーシストとして加入。1986年にアイズレー・ジャスパー・アイズレーの"Caravan of Love"のカヴァーで全英シングルチャート1位を獲得。1988年にハウスマーティンズは解散。
バンド解散後はダンス・ミュージックに専念するためにブライトンで活動を続け、1989年にダンスミュージックグループである「ビーツ・インターナショナル」を結成する。1990年に同グループで発売した"Dub Be Good To Me"が自身2度目の全英シングルチャート1位を獲得。その後、妻との離婚による精神的ショックにより、2年間音楽活動から遠ざかる。
1993年にトロンボーン奏者のアシュレイ・スレイターとともにバンド「フリーク・パワー」を結成。また、この頃より種々の活動においてアーティスト名を使い分けるようになり、Pizzaman、The Mighty Dub Kats、Fried Funk Foodなどの名義を使用していた。
1996年にファットボーイ・スリム名義でシングル"Santa Cruz"、アルバム『ベター・リヴィング・スルー・ケミストリー』をスキントから発売。この頃の自身の活動とともにスキントのベントレー・リズム・エース、イギリスのレーベルであるWall of Soundのプロペラヘッズらの活動がビッグ・ビートのムーブメントとなった。
1998年に2作目のアルバム"You've Come A Long Way, Baby"、2000年に3作目のアルバム"Halfway Between the Gutter and the Stars"、2004年に4作目のアルバム"Palookaville"を発売。
2002年7月13日、地元ブライトン・ビーチでの2度目のコンサートは25万人を集める大成功を収めた。しかし7月16日には25歳のオーストラリア人女性がコンサートの事故が元で死亡。以降、同様のライブは当局により禁止されていたが、2006年の6月にノーマン主催のネス湖でのRockness Festivalを開催し、2007年1月には再び地元のブライトン市民限定で2万人規模のコンサートを行った。2002年には、本名をクエンティン・レオ・クック (Quentin Leo Cook) からノーマン・クエンティン・クック (Norman Quentin Cook) へ正式に改名している。
2012年8月12日、2012年ロンドンオリンピックの閉会式にてパフォーマンスを行った。ステージ中央に停まったバスの中からタコ型のオブジェとDJブースとともに登場し、自身の楽曲を2曲("Right Here Right Now" "ロッカフェラー・スカンク"いずれもセカンドアルバムに収録)と、その後登場したジェシー・J、タイニー・テンパー、タイオ・クルーズの歌唱中もDJブース内でパフォーマンスを行った。
私生活では、1999年にテレビ司会者のゾーイ・ボールと結婚し2人の子供を授かるが、2016年に離婚を発表。
アルバムBetter Living Through Chemistryよりシングルカットされたもの
アルバムYou've Come A Long Way Babyよりシングルカットされたもの
アルバムHalfway Between the Gutter and the Starsよりシングルカットされたもの
アルバムPalookavilleよりシングルカットされたもの
アルバムWhy Try Harder? - The Greatest Hitsよりシングルカットされたもの
いずれのアルバムにも収録されていないもの