ヘヴィメタル(英語: heavy metal)は、ロック・ミュージックのジャンルの一つ。1960年代末から1970年代の初頭にかけてイギリス及びアメリカ合衆国などで広く発展したロックのスタイルのひとつである。
ハードロックとヘヴィメタルとの境界は明確ではなく、ハードロックとヘヴィメタルとを一括してHR/HM(または「HM/HR」)と呼ぶこともある。グランド・ファンク・レイルロードのように黒人音楽寄りのバンドは、ハードロックとは呼ばれるが、ヘヴィメタルとは呼ばれない。一方で、1970年代後半のジューダス・プリーストやアイアン・メイデンは、ヘヴィメタルの代表的なバンドとされている。「ヘヴィメタル」という用語自体は1970年代前半から存在したが、ハードロックが1970年代前半にピークを迎えた後、同時期に台頭したパンク・ロックのスピード感を加味して独自の成長を遂げたジャンルである。
日本における基本的な略称はメタル。他にHM、ヘヴィメタ、ヘビメタなどがあるが、日本においてヘヴィメタルを「ヘビメタ」と略すのは侮辱的な意味が含まれる場合もあるとして、ヘヴィメタルファンからは好まれないこともある。これは80年代のテレビ番組で、ヘヴィメタルのファッションスタイル(金髪、レザー、ロンドンブーツなど)や音楽性を馬鹿にして笑いを取る手法が見られたことも原因となっている。
このジャンルに分類されるバンドのサウンドは、ハードロック同様、エレクトリック・ギターのファズやディストーションを強調した、ラウドなものであるのが基本である。ハードロック/ヘヴィメタルは1970年代半ばごろから、アリーナ・ロックや産業ロック的なバンドと、アルバム志向のヘヴィメタルバンドに分かれる傾向も見られた。また、時代を経るにつれてシーンの細分化が進んだことから、ヘヴィメタルは様々なサブジャンルを持つようになった。
ヘヴィメタルバンドの歌詞には、様々なものがある。
例えば、ジャンルの創始者とされるブラック・サバスの初期の歌詞(主にギーザー・バトラー作詞)は、過酷な工場労働や戦争(ベトナム戦争等)に徴兵される貧困層の苦難、核の恐怖、冷戦下の社会的不安といった現実の不条理に対する怒りや疎外感から生み出された、オカルト表現やダークな世界観の強いものであった。しかし、後続のバンド群がその表面のみを流用した結果、過激な演出や商業的イメージ(いわゆる「営業用」の演出)として記号化されていった側面も指摘される。一方で、ブラックメタルやマリリン・マンソンのように本格的に反キリスト思想を音楽活動の指針とし主張を取り入れているバンドが存在する一方で、ストライパーのようなクリスチャン・メタルと呼ばれるバンドもある。
また、ジューダス・プリーストやアクセプトに見られるスタイルは、権力や社会機構の抑圧に対する反発、あるいは虐げられた者同士の「反骨心と連帯(いわゆるメタル・スピリット)」という硬派な美学を提示した。一方で、それを強調し過ぎた結果、マノウォーに代表されるような、古代の戦士像、誇張された筋肉美、「男同士の血の結束」などをテーマとした力強さの美学は、マチズモ (過剰な男性性の強調)と結びつけられる事もある。
単なる過激なパフォーマンスやフィクションの域にとどまらず、社会的・哲学的・文学的なテーマを深く掘り下げるバンドも少なくない。例えば、ピンク・フロイド、ラッシュ、アイアン・メイデンなどに影響を受けたクイーンズライクやフェイツ・ウォーニングといったプログレッシブ・メタルなどの分野では、人間の内面、存在理由、精神的抑圧、歴史・文学の批評といった高度な主題が扱われることも多い。また、一般にホラー的・流血描写のイメージが強いデスメタルにおいても、ジャンルの先駆者であるデスのチャック・シュルディナーが初期のB級ホラー映画的アプローチから脱却し、人間のエゴ、社会の不条理、哲学的な問いかけへと歌詞のテーマを変化させたように、社会批評や人間の精神的葛藤を描くケースも見られる。しかし、ブラック・サバスのダークさ同様、ジャンルの様式化に伴い、難解な語彙や複雑な展開の形骸化が進んだ面もある。
また、中世ファンタジーや神話の世界観を取り入れた歌詞も多く見られる。70年代のユーライア・ヒープ等に端を発するこの傾向は、ロニー・ジェイムス・ディオによってドラゴンや魔法、善悪の葛藤を描くヘヴィメタル特有の王道スタイルとして確立され、後のパワーメタルやフォーク・メタルへ大きな影響を与えた。彼の描くドラゴンや魔法といったモチーフは単なる現実逃避ではなく、宗教的・心理的な洞察に基づき、現実社会で孤立や苦悩を感じる人々へ救いや希望を与えるためメタファー(比喩)として機能していた。しかし、こうした傾向も、後続のバンド群(後年のパワーメタル等)がこの深い主題理解を伴わずに表面的なファンタジー要素のみを模倣した結果、単なる架空世界の描写や現実離れした物語へと記号化・単純化されていった側面も指摘される。
メンバー構成は、ロックバンド一般に見られるものとあまり変わらないことが多い。ギター、ドラム、ボーカル、ベースを主軸とする。サウンドがヘヴィであることが重視されるため、ギターやベースのチューニングを下げて通常より低い音が出せるようにしている場合がある。
ヘヴィメタルではギターリフ(繰り返される印象的なフレーズ)とギターソロが極めて重要視され、楽曲の核を成す。1曲の中に高度な技術を用いたギターソロが挿入されることが一般的であり、1980年代以降は速弾き(スイープ、タッピング、オルタネイト・ピッキング等)をはじめとする超絶技法を競い合う土壌となった。また、2台のギターによるツイン・リードやハモり(ハーモニー)、歪み(ディストーション)を強調した重厚なサウンドは、エフェクターやアンプなど機材の進化と多様化にも多大な影響を与えた。
代表的なギタリストには、ヘヴィメタルのリフ構造を確立したトニー・アイオミ、 クラシカルな旋律を持ち込んで80年代メタルのスタイルを決定づけたランディ・ローズ、ツイン・リードのスタイルを完成させたグレン・ティプトン/K・K・ダウニングやデイヴ・マレイ/エイドリアン・スミス、ネオクラシカルスタイルの速弾きを普及させたイングヴェイ・マルムスティーン、フランク・ザッパ譲りの実験的なテクニカル演奏とキャッチーな美しさを両立したスティーヴ・ヴァイ、 重厚でクラシカルなリフと圧巻の感情表現を両立させたクリス・オリヴァ(サヴァタージ)、スラッシュメタルの鋭利なリフワークを確立したカーク・ハメット、そこに東洋的な旋律や技法を加えたマーティー・フリードマン、90年代以降のヘヴィネスを定義したダイムバッグ・ダレルらが挙げられる。
ヴォーカルは、高音域のシャウトやオペラのように朗々と歌い上げるクリーン・ヴォーカルから、スラッシュメタルやデスメタル、ブラックメタルで見られるダウナーなダートヴォイスやがなり立てるデスヴォイス(グラウル、シャウト)まで、サブジャンルによって極めて多様な歌唱法が用いられる。代表的なヴォーカリストには、ハイトーンやオペラティックなスタイルの決定打となったロブ・ハルフォード、ロニー・ジェイムス・ディオ、ブルース・ディッキンソン、ジェフ・テイト(クイーンズライク)、またエクストリーム・メタル系の歌唱を開拓したチャック・シュルディナーやトム・アラヤらが挙げられる。
ベースは、ギターリフとユニゾンして重厚な低音域のボトムを支える役割を果たす一方で、他ジャンル以上にパーカッシブなアタック音や歪み(ディストーション)を強調し、アンサンブルを牽引するフロントマン的な役割を担うことも多い。代表的なベーシストには、高速指弾きでバンドのリズムとメロディを力強く牽引したスティーヴ・ハリス、歪んだベースでリードギターのような強烈な存在感を放ったクリフ・バートン、超絶技法で変拍子を支えるジョン・マイアング、テクニカルなフレットレスベースの名手スティーヴ・ディジョルジオなどがいる。
ドラムスは総じてテンポが速く、ツーバス(バスドラム2個)やツインペダルを駆使した連続的なキック(連打)が多用される。また、変拍子や手数(フィルイン)の極めて多い複雑なフレーズが好まれる一方で、ドゥームメタルやストーナーロックのように重厚感を出すために極端にテンポを落とすスタイルも存在する。代表的なドラマーには、スラッシュメタルのビートを確立したデイヴ・ロンバード、メロディックなパワー/スピードメタルのスタイルを確立したインゴ・シュヴィヒテンバーグ、シンバルワークや引き算の美学を提示したマーク・ゾンダー(フェイツ・ウォーニング等)、変拍子やテクニカル・ドラミングの第一人者であるマイク・ポートノイなどが挙げられる。
ヘヴィメタルのファッションを端的に表した言葉としては、「レザー&スタッズ」がよく知られる。革(レザー)のジャケットに鋲(スタッズ)を大量に打ち込んだものである。 また、ステレオタイプなヘヴィメタルファッションとして、長髪、バンドロゴやアルバムジャケットをプリントした黒系のTシャツ、ジューダス・プリーストのような皮のジャンパーや皮ブーツ、細身ジーンズとスケーターシューズの合わせ、迷彩柄のカーゴパンツ、衣類に打たれたスタッド(鋲)やスパイク、バンドロゴのワッペンや缶バッジを大量に付けたジャケット(パッチGジャン)などが挙げられる。
反キリスト的なコンセプトのあるバンドでは、逆十字やペンタグラムをかたどったアクセサリーを身につけたり、白粉をベースにおどろおどろしい模様をつけた化粧(コープスペイント)などを施すこともある。マリリン・マンソンは全身をキャンパスにしてメイクと変装を施し、「アンチクライスト・スーパースター」と自称したことで知られる。例えば皮製のファッションは、ロブ・ハルフォードのSMファッションが由来であり、他の例としてラップを取り入れたコーンのようなニュー・メタルバンドでは、Bボーイファッションやストリート系ファッションを取り入れたり、スリップノットのようにマスクとユニフォームに身を包むなど、バンドやプレイヤー個人ごとのアイディアや音楽性、信条などから多様化しているのが実際である。
ヘッドバンギングした際の見栄えを良くするために長髪にしている者もいるが、HMは伝統的に長髪にするという側面もある。1990年代後半以降のジェイムズ・ヘットフィールドやフィル・アンセルモのように短髪の場合もある。ミュージシャンの高齢化により長髪を維持できずに短髪もしくは坊主頭にする者もいる。また、近年ではメタルコアやブルータル・デスメタルといったジャンルのミュージシャンやファンには長髪より短髪が多く目立ち、一見着ているバンドTシャツやキャップを見ない限りメタルファンかパンクスか見分けがつかない事もある。
音楽面では、例えば速弾きや特殊な奏法などを用い、スタジオ版よりも長時間に及ぶギター、ドラム、ベース各パートのソロタイムが設けられることが多く、曲中にギター同士やギターとキーボードで競い合うようにソロを弾いたりといったものがしばしばある。ステージ下手・中央・上手のメンバーがフォーメーションを取りリズムに合わせてヘッドバンギングしながら演奏をするのも、メタルらしい演出のひとつである。 バンドごとに見られる演出としては、
といった、画期的なものも見られる。他にもラムシュタインのような火吹きパフォーマンス、キッスのような花火や、キング・ダイアモンドのような巨大な舞台装置など、ライブでは派手なものが広く見られる。
ファンもこうしたパフォーマンスや演奏に応えてヘッドバンギングをしたり、指でメロイック・サインを組みながら腕を振ったりする(フィストバンギング)。更には激しく身体をぶつけ合う者(モッシュピット)、ステージからダイブする者、集団でアリーナを輪になって駆け抜ける者(サークルピット)など、ヘヴィメタル・バンドのコンサートでは、しばしば会場に激しい興奮と狂乱状態が見られ、時折それが原因で事故が発生することもある。
アイアン・メイデンをはじめとする正統派メタルバンドの作品ではデレク・リッグス、スラッシュメタルのカバーアートではエド・レプカ、メロディックデスメタルやブラックメタルの作品ではクリスティアン・ヴォーリンなどのように、著名なアーティストも存在している。また、セプティックフレッシュのSethやバロネスのJohn Baizleyのように自身もメタルミュージシャンでありながら、アートワークを手がけるものもいる。
バンドロゴでは、7000以上のバンドのロゴをデザインしてきたクリストフ・シュパイデルが著名なアーティストとして挙げられる。
名詞であるヘヴィメタルが使用されたのは、ビートニク作家であるウィリアム・S・バロウズの著作『ソフト・マシーン』(1961年)の中であり、彼はのちの作品『ノヴァ急報』でこのテーマを追求し、ヘヴィメタルという単語を依存性の強い薬物のメタファーとして用いている。また、『ローリング・ストーン』誌の音楽ジャーナリスト、レスター・バングスは1970年代の初頭にレッド・ツェッペリンやブラック・サバスに対する論評でこのヘヴィメタルという言葉を使い、この言葉が広まるきっかけとなったという。ただし、バンドの音楽性としてヘヴィメタルという形容を明示的に使ったのは、音楽プロデューサー、サンディ・パールマンが、自らプロデュースしていたブルー・オイスター・カルトに対してである。また、これには、バロウズと親交が深く、かつ、ブルー・オイスター・カルトのメンバー、アラン・レイニアの恋人でもあったパティ・スミスの影響もあったとされる。他に、「ロック(岩)よりもハード(硬い)」もしくは「ロック(岩)よりもヘヴィ(重い)」だからヘヴィメタルという説など、諸説ある。
今日ヘヴィメタルと形容される音を、最初に取り扱ったバンドについては諸説ある。初期のバンドであるレッド・ツェッペリン、ブラック・サバス、ディープ・パープルなどは、1960年代末から70年にデビューした「ハードロック・バンド」である。尚、ザ・フーのボーカルのロジャー・ダルトリーは自分たちが最初のヘヴィメタルバンドであったと語っている。ステッペンウルフやアイアン・バタフライ、ブルー・チアー、マウンテン、ユーライア・ヒープ、フリー、ヴァニラ・ファッジなどを挙げる評論家も存在する。
英国のハードロックは1970年代前半に一時代を築き上げるが、ハードロック、プログレッシブ・ロックのマンネリ化への反動や大不況などから、1970年代半ばにパンク・ロック・ムーヴメントが起きる。かつてのハードロックは「オールド・ウェイヴ」と呼ばれるようになり、ブリティッシュ・ハードロック・シーンはその勢いを失っていった。しかしアンダーグラウンドシーンでは様々な若手バンドが、一部ではパンクのビートの性急感をも取り入れながら、新しい時代のハードロックを模索するようになっていた。『サウンズ』誌の記者ジェフ・バートンにより「NWOBHM(ニュー・ウェイヴ・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィ・メタル)」と名付けられたこのムーヴメントは、少しずつ知られるようになっていった。1980年にはアイアン・メイデン、デフ・レパードがメジャーデビューし、シーンは一気に活性化していく。それらのバンドと比べると商業的な成功は大きくなかったものの、ヴェノムやダイアモンド・ヘッドものちのメタルシーンに影響を与えた。
NWOBHM勢に結成は先立ちながら、同時期のヘヴィメタルの立役者となったのが、同じくイギリス出身のジューダス・プリーストである。ブルースの影響を捨て去ることで、真っ白なヘヴィメタルの隆盛に寄与したのである。1969年の結成当初は比較的オーソドックスなハードロックをプレイしていた彼らであるが、やがて硬質で疾走感のあるギターリフを用い、金属的な高音ボーカルでシャウトするなどの様式美の伝統を作り出した。さらに1970年代後半からはレザー・ファッションを取り入れるなど、ステージ・パフォーマンスの面でも後々までステレオタイプ化されるような「ヘヴィメタル」のイメージを作り上げた。またモーターヘッドは、ロックンロールにパンク・ロック的な要素やスピード感のあるリズムを導入し、後のハードコア・パンクやスラッシュメタルの先駆けにもなった。さらにディープ・パープルのコンピレーション・アルバムが発売され、かつてのハードロックバンドの再評価、活躍も見られた。
イギリス以外の世界のバンドについては、ドイツのスコーピオンズ、アクセプト、オランダのヴァンデンバーグ、ゴールデン・イヤリング、オーストラリアのAC/DC、カナダのラッシュ、マホガニー・ラッシュ、デンマークのプリティ・メイズなどが注目された。日本では、1976年にBOWWOW(のちのVOW WOW)、1977年にレイジーがデビューした。
1978年にヴァン・ヘイレンやライオットがブレイクしたのを皮切りに、ヘヴィメタル・シーンはアメリカにも広がっていく。1980年代に入ると、1970年代初頭のヘヴィメタルやグラムロックに影響を受けたクワイエット・ライオット、モトリー・クルー、ラット、初期のW.A.S.P.らの成功によりロサンゼルスのサンセット・ストリップにあったクラブを中心としたシーンが活性化し、LAメタル、またはグラム・メタルと呼ばれるジャンルが誕生する。ドッケン、ナイト・レンジャー、ポイズン、L.A.ガンズの他、東海岸ではボン・ジョヴィ、スキッド・ロウ、シンデレラなどのバンドが次々とメジャーデビューを果たした。こうしたバンドは、初期こそ混沌の発露の様な精神性があったが、グラム・メタルの名に違わず、グラム・ロックの影響を受けた派手でグラマラスでなルックスと、ノリのよいサウンドと歌詞が特徴で、広く若者の支持を集めることができたのである。MTVはこれらのバンドを大々的にバックアップし、ダークでシリアスでコンセプチュアルな方向に進んだW.A.S.P.など一部を除き、産業化が進んでいくこととなる。
こうしてヘヴィメタルの巨大マーケットがアメリカに生まれると、それは旧来の英国市場とは比較にならない規模であり、欧州のバンドの多くがアメリカ進出を目指すようになった。ジューダス・プリーストやアイアン・メイデンといった英国の古参はもとより、英米以外の国からも多数のヘヴィメタルバンドがアメリカでも受け入れられ、特にオーストラリアのAC/DC、西ドイツ(当時)のスコーピオンズ等の活動が目立った。1980年代後半にはボン・ジョヴィ、デフ・レパード、ホワイトスネイクといったグループがアメリカを中心に大ヒットを連発し、日本のLOUDNESSなどもビルボードのアルバムチャートに顔を出すなど、全盛期を迎えた。
対照的に、80年代中頃には、NWOBHMの影響を強く受けつつ、 リフ重視で骨太・アグレッシブで硬派なサウンドを持つメタル・チャーチやアーマード・セイントやアイスド・アースといったアメリカン・パワーメタルも流行した。ただしそれらは欧州由来の今で言うパワーメタルとは別物である。また、そのシーンからの派生として、クイーンズライクやフェイツ・ウォーニングらが、プログレッシブロック等の要素を取り入れた、実験性や社会的なコンセプト性のあるアルバムをリリースし、今でいうプログレッシブ・メタルの原型となるスタイルを提示した。このスタイルは後にドリーム・シアターやシンフォニー・エックスらによって商業的な成功を収めることとなる。
同様のアンダーグラウンドシーンからは他にも、メタリカ、メガデス、スレイヤー、アンスラックスなどのバンドが、ヴェノムをはじめとするスラッシュメタルバンドが台頭し、大きなブームを起こす。これらは、NWOBHMやハードコア・パンクの影響を受けながら、よりヘヴィな音楽形態であり、テンポの速さ、リフに重きを置いたサウンド、ダークな世界観や社会批判を特徴とし、グラム・メタルとは一線を画するものであった。
80年代後半のメタルシーンを席巻したスラッシュメタルも、似通ったスタイルのバンドの乱立などで衰退していくが、フロリダではスラッシュメタルの凶暴性を突き詰めたデスメタルが、北欧ノルウェーでは、デスメタルを否定し80年代スラッシュメタルへの回帰を唱えて、反キリスト教のコンセプトを強調したブラックメタルが誕生するなど、その後のエクストリーム・メタルシーンの成立に大きな影響を与えるとともに、シーンの細分化が進んだ。
1980年代中期のヨーロッパでは英国の伝統的ハードロックの影響下に、スピードを重視したアップテンポのリズムとメロディックで分かりやすい歌で人気を得たアクセプト、全米チャートでヒットを出したヨーロッパらの活躍があった。またスウェーデン出身のイングヴェイ・マルムスティーンは、クラシック音楽のバイオリニストパガニーニ、そしてディープ・パープルのリッチー・ブラックモアの影響を受け、ネオクラシカルメタルと呼ばれるスタイルを確立。彼の速弾きは世界のギタリストたちに影響を与えた。
1980年代の後期になると、デスメタルやブラックメタルの荒々しいサウンドに対するリアクションとして、パワーメタルシーンができあがった。ただし先述した様にアメリカン・パワーメタルとは別物である。このジャンルの先駆けとしては、ジューダス・プリーストやアイアン・メイデンのようなハイトーン・ヴォーカルとスラッシュメタル由来のスピードを組み合わせることで、メロディアスで疾走感みなぎる新たな形式を生み出したドイツのハロウィンがいる。また、スウェーデンのハンマーフォール、イギリスのドラゴンフォースなどは明らかに伝統的なNWOBHMのスタイルに影響を受けたサウンドを展開している。日本や南アメリカなどではこのジャンルの人気が根強く、ブラジルのアングラなどがポピュラーなバンドとして知られている。
ヘヴィメタルは1980年代後半に商業的なピークを迎え、ガンズ・アンド・ローゼズやボン・ジョヴィ、ホワイト・ライオン、ウォレント、ポイズン、グレイト・ホワイト、ウィンガーらがヒットを出したが、90年代に入ると衰退の道をたどることになった。原因は過度に商業化の進んだロックへの反発から登場した、グランジやオルタナティヴ・ロック・バンドがより若者たちの支持を集めるようになり、やがて大きなムーブメントになったからだった。この変化に対応できなかったバンド、あるいは変化の過程でファンの支持を得られなかったバンドはやがて表舞台から消えていった。
この状況を打開したのが、スラッシュ・メタルの代表と目されていたメタリカであった。彼らはアルバム『メタリカ』(1991年)でスラッシュ的なスピード性を放棄し、ヘヴィな音楽性を導入して2200万枚という大ヒットを飛ばす。また、メタリカ同様パンテラが『俗悪』で、ヘルメットが『ミーンタイム』で提示したグルーヴ・メタルというスタイルは数々のバンドが手本にした。パンテラに強く触発されたロブ・ハルフォードがジューダス・プリーストを脱退してFIGHTを結成したことは、この時期の流れを象徴するものといえる。また、インダストリアル・ロックバンド、ミニストリーは『ΚΕΦΑΛΗΞΘ‐詩篇69‐』に見られるように、従来の彼らの音楽にスラッシュメタル的な要素を加えるようになっていったが、この頃からフィア・ファクトリーをはじめとするメタル勢からも電子音楽にアプローチする動きが現れ始める。
こうした動きに呼応してヘヴィメタルシーンでは、若手ミュージシャンを中心にオルタナティヴ・メタルという新ジャンルがあらわれた。それはシンプルなリフに重いギターサウンド、現代社会を反映した歌詞、ラップの導入など、時代に適応した新しいメタル像(ニュー・メタル)であった。しかし、日本では音楽雑誌『BURRN!』を中心に、この動きをモダン・ヘヴィネスやヘヴィ・ロックと呼称して区分し、旧来のヘヴィメタルとは違うことを強調する傾向が出てきた。
このような流れの中、シャロン・オズボーンは、夫オジー・オズボーンが時代の半歩先を行く音楽性で常にヘヴィメタルの象徴であり続けたことを活かし、若手ニューメタル・バンドとオジー・オズボーン擁するブラック・サバスという組み合わせで全米をツアーするオズフェストというツアーに打って出る。これは見事に成功し、マリリン・マンソンやスリップノット、コーンなどのプロモーションに大きく貢献し、メタルコアなど後続のムーブメントに大きな影響を与えた。さらに結果的にはオジー・オズボーンそしてブラック・サバスを再認識させることに成功した。
1990年代初頭には、グレイヴやエントゥームドがイヤーエイク・レコードから1stアルバムをリリースし、デビュー。後にメロディックデスメタルシーンへ多大な影響を与えることとなるスウェディッシュ・デスメタルシーンが全盛を迎えた。
他方で、ノルウェーではデスメタルを"ライフメタル"と揶揄し、バソリーやセルティック・フロストをはじめとする1980年代スラッシュメタルの復権を唱えたブラックメタルシーンが大きな動きを見せていた。1992年には、それまでテクニカル・デスメタルとして活動をしていたダークスローンがセカンド・アルバムを発表してブラックメタルへの転向を見せ、世界中のエクストリームファンを驚愕させたともいわれる。また、1993年にはイギリスの『ケラング!』誌がブラックメタル特集を大々的に行い、多くの聴衆の目をひくこととなった。
同じく1990年代初頭にはトラブルがドゥームメタルにアシッドロックの音楽性を融合させ、カテドラルがイヤーエイク・レコードからデビューを果たしている。つづく1992年にはカイアスとスリープが重要なアルバムをリリースし、後でいうストーナーロック・シーンをつくりあげることに貢献した。こうして1990年代は、新しい時代にふさわしい姿に成長したバンド、消えていった旧世代のバンド、時代に応じて現れた若手のバンドと、世代交代が急速に進んでいった時代であったといえる。
1990年代後半のヨーロッパでは、デスメタルに叙情的なメロディを取り入れたメロディックデスメタル、ゴシック・ロックのサウンドやゴスファッションを取り入れたゴシックメタル、ヘヴィメタル的な要素を守りつつもニュースクール・ハードコアに接近したメタルコア、など、新たな動きが生み出されていった。
また、ヘヴィメタルと電子音楽との融合は1990年代初頭のインダストリアル・メタルなど過去から行われていたが、2000年代に入ってパソコンの普及が進んだことから、テクノ、エレクトロニカ、トランス、などの要素を取り入れたメタルバンドも現れるようになっている。このようなサブジャンル化(後述)は現在も止まることなく進んでいる。
この流れから、2000年代はスリップノットによるニュー・メタルの台頭や、リンキンパークやインキュバスなどによる、DJを含めた新しいスタイルの演奏に影響を与え、伝統的なヘヴィメタルと一線を画していった。
また、ベテランのヘヴィメタル・バンドであるジューダス・プリーストやアイアン・メイデンらも活躍した。黄金期のラインナップで再興した彼らは、新たなアルバムの発売やツアーを行い、メタルシーンの活性化に貢献した。シャロン・オズボーンもまたこうした動きに注目し、これらのベテラン・バンドと新しいバンドが新旧問わず多数参加する「オズフェスト」を毎年開催されるイベントに育てた。
音楽業界に「再結成ブーム」が到来したこともあり、多くのベテランバンドも再結成した。特にモトリー・クルーやヨーロッパ、ホワイトスネイクなどは再結成ツアーが成功を収めた。ジャパニーズ・メタルにおいてもラウドネスがオリジナルメンバーに戻ったり、アースシェイカーやANTHEM、BOWWOWにSHOW-YA等が再結成したりするなど、同じような現象が起きている。
一方でスリップノットが「Knotfest」(ノットフェスト)を主催して、親交のあるメタルバンドと世界規模のツアーを実現するなど、新しい世代による音楽活動も精力的に行われた。
ジャパニーズ・メタルを参照。
地域ごとに特有の音楽性が認められる場合、地域別サブジャンルが出来る場合がある。
ヘヴィメタル・アーティストの一覧を参照。