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スタンレー・モリソン | |
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| 生誕 |
1889年5月6日 |
| 死没 |
1967年10月11日(78歳没) |
| 国籍 | イギリス人 |
| 職業 | タイポグラファー 実業家 |
| 代表作 | Times New Roman |
スタンレー・アーサー・モリソン(英語: Stanley Arthur Morison、1889年5月6日 - 1967年10月11日)は、イギリスのタイポグラファー、実業家。
印刷の水準を高め、印刷と書体に対する認識を広めた。1920年代からはモノタイプ社の顧問となり、書体の意匠について助言を行った。ルネサンスから18世紀後半までの印刷の中期に特に注目し、過去の優れた書体を復活させた。歴史的影響を受けた人気のあるデザインを依頼し、人気となるいくつかの新しいタイプデザインを作成しライセンスすることでますます名を鳴らしていった。関わったオリジナルの書体には、Times New Roman、Gill Sans、Perpetuaなどがあり、古いデザインの復活版にはBembo、Erhardt、Bellなどがある。モリソンが自分のデザインだと思えるほど開発を進めたTimes New Romanは、現在最も使用されている書体のひとつとなった。印刷のアドバイザーとしてタイムズ紙と密接な関係を持ち、戦後は『タイムズ文芸付録』の編集者となり、晩年はブリタニカ百科事典の編集委員に就任した。
スタンレー・モリソンは1889年5月6日、エセックス州ワンステッドで生まれたが、幼少期(1896年~1912年)をロンドンのハーリンゲイ区、フェアファックス・ロードの家で過ごした。彼は父親が家族を見捨てたため学校を中退し、独学で学んだ。
1913年、モリソンは『The Imprint』誌の編集助手となった。
モリソンは第一次世界大戦に際してベネディクトゥス15世 (ローマ教皇)の平和の呼びかけを推進するために設立された団体『The Guild of the Pope's Peace』の創設者の一人であった。
1916年の第一次世界大戦中の徴兵制の導入に際し、彼は良心的兵役拒否者であり、投獄された。友人のエリック・ギルと同様に、モリソンはカトリックに改宗し、そのため多くの後の同僚たちとは距離を置くようになった。モリソンは1916年に教師であるメイベル・ウィリアムソンと結婚したが、結婚生活は不幸であり、迅速に妻と別居した。
1918年、彼は戦争批判の内容を発行するペリカンプレス社のデザイン監督となり、その後、クロイスター・プレスでも同様の職務に就いた。1922年、彼はタイポグラフィに関するフルーロン協会の創設メンバーとなり、1925年から1930年まで同協会のジャーナル『The Fleuron』を編集した。この出版物のアートワークと印刷の品質は特筆すべきものであった。1923年から1925年まで、彼はグラフィックアートジャーナル『Penrose Annual』のスタッフ編集者兼ライターでもあった。
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モリソンは1929年から1960年まで、タイムズ紙のタイポグラフィのコンサルタントを務めた。1931年、新聞活字の貧弱さを批判したことで、新しく読みやすいタイプフェイスを作ることを依頼された。「Times New Roman」は、モリソンがグラフィックデザイナーのビクター・ラーデントと共に開発した書体で、1932年に初めて新聞に使われ、1933年にはモノタイプ社から商業販売された。モリソンは1935年から1952年までタイムズ社の社史編纂に携わり、1945年から1948年まで『タイムズ文芸付録』の編集長であった。
1960年、ロイヤル・デザイナー・フォー・インダストリー(英国王室御用達)に選出された。1961年から1967年に亡くなるまで、ブリタニカ百科事典の編集委員を務めた。1953年に爵位を、1962年にCBEを授与されたが、いずれも辞退した[要出典]。
1967年10月11日、ロンドンにて78歳で死去した。
General references