
Swoosh(スウッシュ)は、アメリカ合衆国のスポーツ用品メーカーナイキを象徴するロゴおよび商標である。1971年、当時ポートランド州立大学でグラフィックデザインを学んでいたキャロリン・デビッドソンによって制作された。『インデペンデント』は、スウッシュを世界で最も認知度の高いロゴの一つとして紹介している。
ナイキの前身であるブルーリボンスポーツ(Blue Ribbon Sports、BRS)は、ビル・バウワーマンとフィル・ナイトによって1964年1月25日に設立された。BRSが独自ブランドのシューズを展開する過程で、新製品を他社製品から識別するためのマークとしてスウッシュが生み出された。
デビッドソンは当初ジャーナリズムを専攻していたが、ポートランド州立大学でデザインの授業を受講したことを契機としてデザインを学ぶようになり、1971年に卒業した。
当時、フィル・ナイトはポートランド州立大学で会計学を教えていた。デビッドソンによれば、油絵の授業に必要な費用を工面できないと友人に話していたところをナイトが耳にし、ナイトが経営していたBRSで図表などを制作する仕事を持ちかけたという。報酬は時給2ドルだった。
BRSは当時、日本のオニツカタイガー製ランニングシューズの輸入・販売を行っていたが、自社ブランドの靴を生産する計画を進めていた。1971年2月、ナイトはメキシコの工場に黒いアッパーと白いソールを持つサッカー用シューズの生産を依頼し、オニツカタイガー製品と区別するための「ストライプ」を必要としていた。ナイトはデビッドソンに、動きを感じさせ、アディダスの3本線とは異なる靴側面のマークを考案するよう依頼した。
デビッドソンは薄紙に案を描き、靴に重ねながら検討した。本人の回想では5案を提出し、Nikeの社史では約6案を制作したとされる。ナイト、BRSのジェフ・ジョンソン、ボブ・ウッデルらが検討し、現在のスウッシュにつながる曲線状の案を採用した。ナイトは当初この案に強い確信を持っておらず、「気に入ってはいないが、そのうち好きになるだろう」といった趣旨の反応を示したと伝えられている。
デビッドソンが請求したデザイン料は35ドルだった。1971年にスウッシュを付けた最初期のシューズが生産され、Nikeの資料では、黒いサッカースパイク「The Nike」が最初にスウッシュを付けた製品とされる。
ABC Newsによれば、Nikeの前身であるBRSが1972年1月に提出したロゴの商標出願資料には、スウッシュが商業上初めて使用された日として1971年6月18日が記載されている。また、米国特許商標庁(USPTO)も、スウッシュが1971年にNikeの靴へ初めて使用されたとしている。したがって、1971年6月18日は商標そのものの「登録日」ではなく、商業上の最初の使用日である。
一方、「SWOOSH」の文字商標については1981年5月4日に出願され、1982年7月6日に米国で登録されている。
1972年には、スウッシュを付けたコルテッツ(Nike Cortez)などのシューズが展開された。Nikeの資料によれば、1972年のボストンマラソンでは上位のアメリカ人選手2人がスウッシュを付けたNikeのシューズを履いており、同社はこれを主要レースで確認されたスウッシュの初期の使用例としている。
Nikeによれば、1974年には陸上選手スティーブ・プリフォンテーンが、胸部に単独のスウッシュを配したトラックスーツを競技会で着用した。同社はこれを衣服上でスウッシュが単独使用された最初の例としている。
スウッシュは時期によって「NIKE」の文字と組み合わせて使用されてきた一方、単独のシンボルとしても定着した。2019年に『GQ JAPAN』は、1971年以降に「シングル・スウォッシュ」や「NIKE」の文字と組み合わせたロゴなど、複数の形態が用いられてきたと紹介している。
1988年にはナイキの広告コピー「Just Do It」が登場し、その後スウッシュとともに同社を象徴する表現として広く使用されるようになった。
デビッドソンは、ナイトから「動き」を表現するマークを求められたと回想している。ポートランド州立大学によるデビッドソンの紹介では、ナイトが示した条件は「速さ」を感じさせることだったとされている。Nikeによる後年の説明でも、スウッシュが当初表そうとした概念として「速さ」が挙げられている。

スウッシュは、社名の由来となったギリシア神話の勝利の女神ニーケーの翼と結び付けて説明されることがある。一方、デビッドソン本人の回想やポートランド州立大学、Nikeの社史で具体的に確認できる制作条件は「動き」や「速さ」を表現することであり、ニーケーの翼が直接の造形上の着想源であったかについては慎重な扱いが必要である。
1971年の初期ロゴではスウッシュと「nike」の文字が組み合わされ、その後も書体や配置を変えた複数の形態が用いられてきた。現在ではスウッシュ単独でもNikeを識別するブランドマークとして使用されている。
『インデペンデント』は2008年、スウッシュを世界で最も認知度の高いロゴの一つとして取り上げ、文字を伴わなくてもブランドを識別できる点を特徴として挙げている。
2015年に『フォーブス』が公表したスポーツブランドの評価では、Nikeのブランド価値は約260億ドルと算定された。ブランド価値の算定額は調査機関と年度によって異なり、Interbrandは2025年のNikeのブランド価値を337億ドルと評価している。
スウッシュは広告・ブランド研究の対象ともなっている。社会学者Robert GoldmanとStephen Papsonは1998年の著書『Nike Culture: The Sign of the Swoosh』で、Nikeの広告とスウッシュを政治経済、社会学、文化研究、記号論などの観点から分析した。
デビッドソンはスウッシュ制作後もBRSおよびNikeのデザイン業務を担当したが、会社の成長に伴い、一人でデザイン業務を担うことが困難になったため、Nikeは外部の広告会社を起用するようになった。
1983年、フィル・ナイトらはデビッドソンをNike社内の会合に招き、ダイヤモンドを埋め込んだ金製のスウッシュリングとNike株を贈った。贈られた株式は500株だったとされる。デビッドソンは後に「ロゴレディ(Logo Lady)」として知られるようになった。
Nikeはスウッシュを自社の主要な知的財産の一つとして扱っている。同社が米国証券取引委員会へ提出した2025年度の年次報告書によれば、「NIKE」およびスウッシュのデザイン商標は同社にとって最も価値の高い資産の一部とされ、190以上の法域で登録されている。
スウッシュを含むNikeの意匠・商標は、第三者による改変製品をめぐる訴訟でも争点となっている。
2006年には、デザイナーのAri Saal Formanがナイキ エア・フォース1の意匠とたばこブランドNewportの意匠を組み合わせた「Menthol 10s」を制作し、NikeおよびNewportの当時の権利者Lorillardとの法的紛争に発展した。
2021年には、アート集団MSCHFがNike Air Max 97を改造した「Satan Shoes」を販売したことに対し、Nikeが商標権侵害などを理由に提訴した。米連邦地方裁判所は同年4月、係争中の製品の出荷を一時的に差し止めた。