| URL | well.com |
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| 開始 | 1985年2月 |
Whole Earth 'Lectronic Link(通称:The WELL)とは世界的な仮想共同体のひとつ。
運営され続けている仮想共同体の中で最古の部類に入る。2012年6月時点で会員数は2,693人。インターネットコミュニティとしてよく知られるものの、電子メール、シェルアカウント、ウェブページサービスも提供している。WELLのディスカッションやトピックスではユーザーの性格や興味に基づくことから些細なことから非常に重大なことまで扱われる範囲は広い。
WELLは1985年にスチュアート・ブランドとラリー・ブリリアントによって創設され、名前はWhole Earth Catalogを含むブランドの初期プロジェクトを部分的ながら参考にしたものである。当初はダイヤルアップ接続でアクセスする電子掲示板(BBS)として始めており、初めて商業トラフィックが可能になった1990年代初期における最初のダイヤルアップISPの1つとなり、インターネットやウェブ技術が進化するに従い現在の形になった。設立時の運営チームはマシュー・マクルーア(Matthew McClure)が中心となり、まもなくクリフ・フィガロ(Cliff Figallo)とジョン・コート(John Coate)が加わった。彼らはいずれも1970年代のコミューン「ザ・ファーム」の出身者であり、初期ユーザーとの協働作業で仮想共同体の概念を育てていった。。
WELLは1985年に設立された当初、Whole Earth Catalogや『Whole Earth Review』の発行元であるポイント財団(The Point Foundation)が50%を、ラリー・ブリリアントが当時会長を務めていたバンクーバー拠点の企業NETI Technologies Inc.(Network Technologies International)が50%を所有していた。
1994年から1999年まで、WELLはウォーキングシューズメーカーロックポート社の創業者ブルース・R・カッツ(Bruce R. Katz)によって所有された。カッツはインフラを刷新しスタッフを雇用したが、WELLをフランチャイズ化する計画をめぐってメンバーとの間に軋轢が生じた。1999年4月、WELLはSalon.comに買収された。Salonの創業者の一部(スコット・ローゼンバーグなど)は、以前からWELLの常連参加者であった。1991年、フィガロに雇われたゲイル・アン・ウィリアムズは現在に至るまで管理を続けている。2005年8月、Salonは他の事業に注力するためWELLの売却先を探していると発表したが、2006年11月には適切な買い手が見つからなかったとして売却活動を一時停止した。
2012年6月、Salonは再びWELLの売却を発表し、購読者基盤が「財政的な将来性を持たない」と述べ、well.comドメインの購入希望者との交渉に入ったこと、および残っていたWELLのスタッフが同年5月末で解雇されたことを明らかにした。これに対し、メンバーたちはオンラインで出資を募り、WELLを自ら買収してスタッフを再雇用することを目指した。
2012年9月、SalonはWELLを長年のメンバー11名が所有する新会社The WELL Group Inc.へ売却した。売却額は40万ドルと報じられている。買収に参加した11名の平均在籍年数は20年を超えていた。メンバーは経営に公式な役割を持たないものの、「(メンバーは)自分たちが最も得意とすること、すなわち会話に戻ることができる。そして経営陣への不満を言うことにも」とされた。初代CEOにはプログラマーでベイエリアのフォーク音楽コミュニティを支援していたアール・クラブ(Earl Crabb)が就任したが、2015年2月20日に死去した。後任についての発表は行われなかった。
会議システムの中核ソフトウェアであるPicoSpanは、NETIのためにマーカス・D・ワッツ(Marcus D. Watts)によってC言語で書かれ、UNIX(mt Xinu版)上で動作するVAX 11/750上で運用された。このVAXは「25万ドルの費用と、電話線とモデムで埋まったクローゼットを必要とした」とされる。PicoSpanのライセンスは、WELLへの初期投資の一部として、会社の半分の権利と引き換えにNETIから提供されたものだった。
WELLの歴史で特筆されるのは後に電子フロンティア財団を設立するジョン・ペリー・バーロウ、ジョン・ギルモア、ミッチ・ケイパーが最初に集った場所がWELLのフォーラムだったことや、初期から積極的に参加していたハワード・ラインゴールドはWELLで得た経験を元に『The Virtual Community(邦訳:『バーチャル・コミュニティ -コンピューター・ネットワークが創る新しい社会』)』を執筆したこと、1980年代終わりから1990年代初期にかけてグレイトフル・デッドのファン、特にコンサートの追っかけにとってメジャーなオンラインミーティングの場ともなったことや、ケビン・ミトニックへの追求と逮捕を描いた小説『テイクダウン』にWELLが登場したことである。
本拠地は創設時点でカリフォルニア州サウサリートだったが、現在はサンフランシスコにある。
2005年8月、サロン・メディア・グループは他事業に集中するためWELLの売却を模索していることを発表した。2006年11月、WELLはプレスリリースにて「サロンは最適な買収者を見つけられなかったものの現在企業の最善利益としてWELL売却の模索を一切中断し事業を維持することを決定した。」と述べた。
2012年6月、サロンは再度WELLの売却を模索するが加入者に金融的な約束を負わせないことを発表した上、ドメイン名well.comの購入に興味を示す団体との協議に入ったことや5月末までに残っていたWELLのスタッフを解雇したことも合わせて発表した。コミュニティはWELL自体と重要なスタッフを再雇用するために資金を集めたことで、同年9月、サロンはWELLを登録メンバーの集団に売却した。
WELLはカンファレンスと呼ばれる一般的な主題分野に分けられている。カンファレンスはメンバーの関心が反映される上、芸術、健康、ビジネス、地域、趣味、スピリチュアル、音楽、政治、ゲーム、ソフトウェアと多岐にわたる。
カンファレンス内ではメンバーはトピックスと呼ばれる別々の会話スレッドを興味のある特定の話題に基づいて新設することが出来る。例として、メディアに関するカンファレンスではニューヨーク・タイムズ、メディア倫理、コミック・ストリップ作品であるルアンそれぞれ専門的に扱ったトピックス、ローカル的なカンファレンスの例としてサンフランシスコにおけるレストラン、市政、近所で起きたニュースを扱ったトピックスがある。
カンファレンスにも「ulist」と呼ばれるカンファレンスホストが利用可能メンバーを制限できる「プライベート」と全メンバーが閲覧できる「パブリックカンファレンス」がある上、いくつかの「フィーチャープライベート(featured private)」や「プライベートインディペンデント(private independent)」のカンファレンス(例として「Women on the WELL」や「Recovery」)はWELLのディレクトリに列挙されているが、アクセスに関してはプライバシーやメンバー制限の理由で限られている。ただ、メンバーはこれらのカンファレンスにアクセスできる権利を申請することは可能である。その他にも一覧には無い数多くの「シークレットプライベート」カンファレンスも存在する。これらのカンファレンスの名前は公に公開されているが、内容、ホスト、参加メンバーについては特定のカンファレンスメンバーによって公開が制限されている。プライベートカンファレンスのメンバーは招待されることで加わることができる。メンバーは自身のパブリックやプライベートインディペンデントカンファレンスを作成することが可能。
WELLの管理者にはザ・ファームと呼ばれる1970年代のコミュニティのベテランだったマシュー・マクルーアとクリフ・フィガロが務めており。1998年よりプルトニウム・プレイヤーズという政治風刺グループの代表のひとりとして知られていたゲイル・アン・ウィリアムズが管理者に加わっている。協働作業において、カウンターポイントと不敬はWELLのコミュニティでリスペクトのある価値とされ、20年以上の間、普通でない管理者達によって育まれている。
カンファレンスはやり取りの指導や礼儀、適切性に基づくカンファレンス規則を実施することが出来る「カンファレンスホスト」によって管理されている。初期の全ホストは社員によって選定されていた。1995年、ゲイル・アン・ウィリアムズが規約を改正しメンバーがフォーラムを作成できるようになった。完全メンバーレベルでの参加者は任意のテーマに基づき、ローカルルールも自由に設定できる「独立した」個人カンファレンス(WELLのメンバーが閲覧可能か制限されたメンバーリストで列挙されているメンバーがプライベート閲覧できるか設定できる)を開設することができる。
カンファレンスサービスの全面的なサポートと指導は数人の社員によって処理されており、UNIXにおいてカンファレンスのメンテナンススタッフが使用するユーザーアカウントにちなんで度々「コンフチーム」と称されており、カンファレンスホストより上位のシステム管理能力を持っていて、「フィーチャーカンファレンス」ホストの選定や(まれであるが)問題行為を起こすアカウントを締め出す権利を持っている。
WELLのメンバーはメッセージと名前欄に投稿するときに一貫性のあるログインユーザー名を使用する。名前欄(WELLの用語で「pseud」)は既定ではユーザーの本名になるが、度々他ユーザーからの引用を反映する形や冗談の形など自由に変更するか空白にすることができる。ユーザーの実名は容易にログイン名から調べられることからWELLのメンバーは匿名ではない。
昔から二通りの意味を持つWELLのスローガン「You Own Your Own Words(YOYOW)」はスチュワート・ブランドが作り出したものでありメンバーは自身の言葉を投稿する権利とその言葉に対する責任を意味している(メンバーはいつでも自身の投稿を削除できるが、投稿の場所と投稿者、落書き投稿だけでなく落書きした人はプレースホルダとして残る。)。
WELLのメンバーはほとんどの人が可能だが、有料サブスクリプションと実名が求められる。WELL上のほとんどの投稿はメンバーしか読むことが出来ない。ただ、いくつかの外部メンバーウェブサイトかいくつかの一般公開カンファレンスのように閲覧可能なのもある:
フォーラムは普通のブラウザかSecure Shell経由のコマンドラインUNIXシステムにログインするか、PicoSpanというクラシックなテキストベースインターフェイスを使用するかで読むことができる。
The WELLは1980年代から90年代にかけて頻繁にメディアに取り上げられているが、おそらく他のオンラインシステムと比べてユーザー数が偏っていたことによるものと思われる。他のオンラインコミュニティが一般化するにつれ近年ユーザー数は減少したが未だに消滅していない。この初期のビジビリティはと興味を持っているジャーナリストやメディアの選抜した人物に無料でアカウントを提供するという初期の方針による結果で、多くのジャーナリストがオンラインシステムを初体験することになり、インターネットや他のシステムが存在していたのにもかかわらずこのような結果になった。現在アカウントがジャーナリストにほとんど無料提供することはないが、未だにWELL上で存在感を発揮しており、例としてサンフランシスコ・クロニクル在籍コラムニストのジョン・キャロル、ジ・インクワイアのウェンディ・グロスマン、LAシティビート在籍批評家のアンディ・クラインがWELL上で活動している。
また1980年代から90年代にかけて複数の受賞歴があり、1998年のウェビー賞でオンラインコミュニティ賞を、1994年にEFFパイオニア賞をそれぞれ受賞している。
WELLの初期において最も成功した会議のひとつが、グレイトフル・デッドのファン(デッドヘッズ)による会議である。社会学者レベッカ・アダムス(Rebecca Adams)は「デッドヘッズは、インターネットを使ったりワールド・ワイド・ウェブに集まったりすることが流行するはるか前から、電子的な開拓者だった」と述べている。
WELL上のデッドヘッズ向け会議は1986年3月1日に開設された。サンフランシスコのラジオ局でグレイトフル・デッドの音楽番組を担当していたミュージシャンのデイヴィッド・ガンズ(David Gans)が、ベネット・フォーク(Bennett Falk)とメアリー・アイゼンハート(Mary Eisenhart)を共同ホストとして立ち上げたものである。この会議の開設はWELLの会員数の急増をもたらし、初期の数年間、ツアーの計画やオーディオテープの交換、歌詞の議論のために会議を利用したデッドヘッズは、WELLにとって最大の収入源となった。設立当初の運営チームの一員であったマシュー・マクルーアは「デッドヘッズたちはオンラインにやってきて、自分たちの周りにコミュニティを作り上げるためにシステムをどう使えばよいか、本能的に知っているようだった……突然、私たちの将来は約束されたように見えた」と振り返っている。1997年、エリック・F・ワイベンガ(Eric F. Wybenga)はグレイトフル・デッド関連資料の年鑑の中で、WELLは「AOLが平均的なアメリカ人にとってそうであるように、デッドヘッズにとっての存在である」と評した。
WELLは、グレイトフル・デッドの作詞家ジョン・ペリー・バーロウ、ジョン・ギルモア、ミッチ・ケイパーという電子フロンティア財団(EFF)の創設者たちが初めて出会った場でもあった。バーロウは、Appleのコードの盗難を捜査するFBI捜査官の訪問を受けた際、法執行機関がインターネットをほとんど理解していないことに気づき、自身が事件に関与していないと捜査官を説得できたにもかかわらず、権力の行き過ぎの可能性に懸念を抱くようになったと記している。EFFは1990年に設立され、同じくWELLメンバーであったマイク・ゴドウィンが最初の常勤弁護士として雇われた。
Craigslistの創業者クレイグ・ニューマークは、1993年にサンフランシスコへ移住した直後にWELLに参加した。彼はメンバー同士が交わすインターネット・コミュニティに関する議論や、報酬を求めずに互いに時間や専門知識を提供し合う姿に触発された。1995年、ニューマークは友人向けにイベントや求人情報のメールリストを送り始め、これがのちにCraigslistへと発展した。リストが公開のLISTSERVへと拡大し営利法人化された後も、ニューマークはそれをコミュニティの信託と捉えていたという。
WELLは会議サービスに加え、機関や企業のコンピュータネットワークにアクセスできない人々にUNIXオペレーティングシステムへのアクセスを提供し、メンバーがUNIXツールを作成・共有することを奨励した。初期のコミュニティマネージャーであったジョン・コート(John Coate)は、これをのちに「メイカー文化」と呼ばれるものの初期の表れであったと述べている。1993年当時を振り返り、ハワード・ラインゴールドは、こうした要素がWELLを「若きコンピュータの魔術師たち」にとって魅力的な環境にしていたと述べている。
一方で、コミュニティは現実世界と結びついた出来事にも直面した。1990年、人気のあった活動的なメンバーが自らの投稿をすべて削除(「スクリブル」)した後に自死し、他のメンバーが彼に手を差し伸べようとしたにもかかわらず、コミュニティに衝撃を与えた。また数年後には、2人のメンバーが現実の恋愛関係のもつれを複数の会議にまたがって投稿し、コミュニティを二分する事態となった。この一件はケイティ・ハフナー(Katie Hafner)によるWELLに関する著書の中心的な題材となった。
WELLでは、メンバーによる対面の集まりも重要な要素であった。月例の「WELLオフィス・パーティー」は1986年9月に始まり、ベイエリアをはじめ各地で長年にわたり続けられた。当時を振り返り、ジャーナリストのジョン・キャロル(Jon Carroll)は、チリのクックオフや野球観戦、ブランチ、歌の集いなどが次々と生まれたと記している。1991年に始まった「バークレー・シングシング」(Berkeley Singthing)は、ポピュラー音楽を演奏し歌う気軽な集まりで、WELLメンバーによる対面の集まりの中でも最も長く続いているものの一つである。
ハワード・ラインゴールドは、AOLの創業者の一人スティーブ・ケースと、Craigslistを創業したクレイグ・ニューマークが、いずれも自らの会社を設立する前にWELLのメンバーであったことを指摘している。WELLは1990年代初頭に「ジャーナリストのための情報収集拠点」とも評され、ニューヨーク・タイムズ、ビジネスウィーク、サンフランシスコ・クロニクル、タイム、ローリング・ストーン、ウォール・ストリート・ジャーナルなどのスタッフライターや編集者がメンバーに含まれていた。この初期の知名度は、ジャーナリストなど一部のメディア関係者に無料アカウントを提供するという初期の方針に助けられた面がある。WELLでの経験について執筆した著名なジャーナリストには、ニューヨーカー誌のジョン・シーブルック、ニューヨーク・タイムズのケイティ・ハフナー、ガーディアン紙のウェンディ・M・グロスマン(Wendy M. Grossman)、サンフランシスコ・クロニクルのジョン・キャロルらがいる。
1995年には、下村努(Tsutomu Shimomura)が、盗まれた自身のソフトウェアの一部がWELLのアカウントに保存されていることに気づいた。彼はWELLの運営陣と協力してハッカーのケビン・ミトニックを追跡・特定した。この経緯は、下村がジョン・マルコフと共著した著書『Takedown』およびそれを抜粋したWired誌の記事で描かれている。なお2007年3月、WELLはミトニックの入会を拒否し、会費を返金したことで注目された。
WELLは1980年代から1990年代にかけて複数の賞を受賞しており、1994年にはEFFパイオニア賞を、1998年にはオンラインコミュニティ部門でウェビー賞を受賞した。
WELLは、対抗文化(カウンターカルチャー)とデジタル技術の結びつきを論じる研究において重要な事例として取り上げられている。歴史学者フレッド・ターナー(Fred Turner)は、著書『From Counterculture to Cyberculture』(2006年)や論文「Where the Counterculture Met the New Economy: The WELL and the Origins of Virtual Community」(『Technology and Culture』誌、2005年)において、WELLを全地球カタログの系譜に連なるものと位置づけ、バーチャルコミュニティーの起源として分析している。
WELLの初期の料金体系(接続時間に応じた課金)については、平等主義的・民主的な理想を掲げながらも、より裕福なユーザーが会話を支配することを許しうるという指摘もなされた。コミュニティマネージャーのゲイル・アン・ウィリアムズ(Gail Ann Williams)は、これを「ポストクラシー(postocracy)」と呼び、創設者たちの「サイバー・ユートピア主義」は当初から過度に楽観的だった可能性があると振り返っている。