| エイフェックス・ツイン Aphex Twin | |
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2005年の「Traffic - Torino Free Festival」で演奏するエイフェックス・ツイン | |
| 基本情報 | |
| 出生名 | Richard David James |
| 別名 |
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| 生誕 |
1971年8月18日(55歳) |
| 出身地 |
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| ジャンル | |
| 職業 | |
| 活動期間 | 1988年 - |
| レーベル | |
| 公式サイト |
aphextwin |
エイフェックス・ツイン (Aphex Twin)、本名リチャード・D・ジェームス(Richard David James、1971年8月18日 - )はイギリスのミュージシャン、音楽家、作曲家、DJである。1988年からエレクトロニックミュージックで活動しており、テクノ、アンビエント、エレクトロニカ、ドラムンベース、アシッド・テクノなど多彩なジャンルを取り入れたインテリジェント・ダンス・ミュージック(IDM)の要素が強く、独自のスタイルを構築することに成功している。なお、リチャード自身はIDMとジャンル分けされることを嫌っている。また、複数のアーティスト名義を使うことでも知られる。
アイルランドのリムリックで生まれ、イギリスのコーンウォールで育つ。イギリスでテクノシーンが隆盛していた1980年代後半から、レイヴや地元クラブでDJをしていた。この頃からAphex Twinの名義を用いだす。
1991年に自身のレーベルであるリフレックス・レコーズ(Rephlex Records)を設立。同時に他のレコード会社へもデモテープを送り、1991年にはTVTレコーズからAFX名義で、後にシリーズ化するシングル盤の「Analogue Bubblebath」をリリースした。1992年にはR&SレコーズからAphex Twin名義で、1993年にはワープ・レコーズからPolygon Window名義でそれぞれアルバムをリリースした。
1994年にAphex Twin名義でのリリースがR&Sからワープに移る。Aphex Twin名義の初期はアンビエントをリリースする名義であったが、1995年 リリースの『Hangable Auto Bulb』においてドラムンベース(ドリルンベース)の要素を取り入れ、2001年にリリースしたアルバムではプリペアド・ピアノを取り入れたりと実験的な曲もリリースする名義になっている。2001年に『drukqs』をリリースし、Warpとの契約を完了した後、ジェームズは数年間、自身のレーベルRephlexで音楽をリリースした。これには、AFX名義での2005年のEPシリーズ『Analord』や、2007年のThe Tuss名義でのリリースが含まれている。 2004年からリリースしたシングル「Analord」シリーズでは、アシッド・ハウス寄りの曲をリリースしている。
2014年には、未発表だった1994年のLP『Caustic Window』を公開した。同年後半にはAphex Twin名義の作品としては13年ぶりとなるアルバム「Syro」をリリース。同作は2015年のグラミー賞においてBest Dance/Electronic Album部門を受賞した。
以降、2016年のEP『Cheetah』や2018年のEP『Collapse』などのチャート入りEPをリリースしている。2023年にはEP『Blackbox Life Recorder 21f / In a Room7 F760』をリリースし、「Blackbox Life Recorder 21f」はグラミー賞の最優秀ダンス/エレクトロニック・レコーディングにノミネートされた。
FACT Magazineは1992年のアルバム『Selected Ambient Works 85-92』を90年代ベストアルバム・リストの1位とし、NMEはオールタイムベストアルバムの92位に選出。96年の『Richard D. James Album』は55位に、ピッチフォーク・メディアは90年代のベストアルバム40位に選んでいる。またシングル「Windowlicker」はNMEの1999年ベストトラック・リストの1位に、ピッチフォーク・メディアの90年代ベストトラック・リストの12位に選出されている。

彼の独特な作品は、テクノ、アンビエント、アシッド、ジャングルなど多くのスタイルに依拠しており、インテリジェント・ダンス・ミュージック(IDM)ジャンルの先駆者と評されている。Mixmag、The New York Times、NME、Fact、Clash、The Guardianなどの出版物のジャーナリストたちは、ジェームズを現代エレクトロニック・ミュージックにおいて最も影響力のある重要なアーティストの一人と呼んでいる。
人材を発掘する手腕にも優れており、リフレックス・レコーズから独特の才能を持つアーティストを次々とデビューさせた。とりわけ有名なのは私的な友人でもあったルーク・ヴァイバート、共作のアルバムを発表したμ-Ziq、そして自らがライナーノーツを手がけたスクエアプッシャーのいわゆるコーンウォール一派である。
Live.PAとしての初来日:テクノ系アーティストは、DJセットとライブPAでの来日は分けるのが一般的であり、以下単独ライブアクトとしての初来日スケジュールである。 |

エイフェックス・ツインがライブアクトとして初来日したのは1997年1月30日である。 以前よりセットリスト系サイトやファンサイトでは同年の来日が記載されていたが、それを裏付ける一次資料として当時のフライヤーの発見および米国のOak View Groupが出版している業界音楽誌Pollstar(1997年1月20日号)の15ページのRoute Bookに、1997年のエイフェックス・ツインのライブツアー・スケジュールが記載されており、そこにオーストラリア公演の日程に続き「Jan 30 Osaka JAP Bayside Jenny」「Feb 1 Tokyo JAP Liquid Room」と明記されていることが発見され同日同会場でのライブ開催が一次資料により確定することとなった。1997年の初来日ツアースケジュール、ブッキング・エージェント等の詳細は以下の通りである。
| 【1997年:Aphex Twinライブアクト初来日ツアースケジュール】 | ||||
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| 地域 | 公演日 | 会場 | 収容人数 | サポートアクト等 |
| 大阪府 | 1997年1月30日(木曜日) 開演時間:18時00分 |
大阪BAYSIDE Jenny | 約1800~2000人 |
【サポートアクト】 【ブッキングエージェント】
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| 東京都 | 1997年2月1日(土曜日) 開演時間:22時00分 |
新宿LIQUIDROOM | 約700~900人 | |
大阪公演に関しては一次資料が完璧な形で現存しており、1997年4月25日発売のサブカル雑誌『Quick Japan.vol.13』(太田出版 ISBN 4-87233-329-2)において、1997年1月30日の大阪でのライブ前に、ベイサイドジェニー の楽屋でリチャード・D・ジェームスと山塚アイが対談しており、その日付入りの対談内容と写真、ライブ写真およびリチャードと山塚アイのツーショットも残っている。 同誌の見出しには「この一月、遂にライブ・アクトのため日本にやってきた」と書かれており、同年同日がエイフェックス・ツインのライブアクトとしての初来日であったことが確認できる。
また、リチャード・D・ジェームスが設立したリフレックス・レコーズから『Effect Rainbow』というタイトルのレコードをリリースした和泉希洋志もこの日ベイサイドジェニー の楽屋でリチャードと会ったことを回想している。 当日の大阪ベイサイドジェニーは超満員で約2000人ほどのオーディエンスが熱狂したとされ、ライブ後リチャード・D・ジェームスが「生涯で二番目に良かったライブだった」と『Quick Japan .vol.13』のインタビューで答えている。
一方、東京公演については同様の一次資料や証言が乏しいが、雑誌の編集者・ライターであった吉永嘉明が漫画家の「ねこぢる」と共に、1997年2月1日の新宿LIQUIDROOMでのエイフェックス・ツインのライブに行ったことを日付入りで詳細に記述している。彼の回想によると、東京公演も満員だったようだが、「クラブとしては珍しく」(吉永)約3分の1ほどのオーディエンスはダンスフロアーに座って観戦していたようで、またライブが進むにつれ座ってる者たちの数が多くなったというような記述をしている。
また当時のフライヤーにはサポートアクトDJ:Grant、オープニングライブアクトとしてはCylobと記載されているが、吉永の記述にはDJ:Grantのことは一切明記されておらず、オープニングでDJをやっていたのはCylobであったと記載している。
フライヤーにも記載されているが、大阪公演の開演時間は18時からであり、一方、東京公演は22時開演だったので、時間的な制約により東京公演はGrantのDJおよびCylobのライブは省略されていたことが窺える。
リチャード・D・ジェームスは1997年に単独ライブ・アクトで来日する以前、クラブイベントのDJの一人として数回来日している。
1995年4月1日発行の音楽雑誌『ele-king Magazine Vol. 1』によれば、「The Megadog Organisation」主催のテクノイベント「Megadog」のDJの一人として来日したとされるが、当該雑誌にはそのイベント情報は何も記載されておらず、ただー個人の音楽ライターの回想ベースに依る記録としてしか残っていない。よって当イベントの日時、会場等は公式記録として俄然不明のままでありエビデンスも皆無である。また「Megadog」公式サイトでも1994年の日本公演に関しては触れられていない。
新宿リキッドルームで行われたソニー・ミュージックエンタテインメント (日本)主催の「WARP NIGHT」にてLFO (バンド)、プラッド (Plaid)のライブのサポートアクト(前座DJ)の一人として来日。同イベントはSONYの公式サイトで確認でき、また現在でもライブ音源が視聴可能である。よって、このイベントがエイフェックス・ツインの来日公式記録の一次資料として現存している最古のものである。
新宿リキッドルームで開催された「Megadog」というイベントのDJの一人として来日している。当イベントは公式に動画も作成されており、日時会場等、詳細が特定可能である。当時、エイフェックス・ツインはまだ認知度が低かったため、Eat Staticがメインアクト扱いだったようである。
※Universal Indicatorシリーズ中、 "Blue"(1992年)および "Yellow"(1992年)は、Kosmik Kommandoことマイク・ドレッドの作品