シンディ・ローパー

シンディ・ローパー
2024年ロンドン公演
基本情報
出生名 シンシア・アン・ステファニー・ローパー
生誕
学歴 ジョンソン州立大学(現・バーモント州立大学 (Vermont State University - VTSU))
ジャンル
職業
担当楽器
活動期間 1978年 -
レーベル
公式サイト Cyndi Lauper - Official Site
署名

シンディ・ローパー(英語: Cyndi Lauper、1953年6月22日 - ) は、アメリカ合衆国のシンガーソングライター、女優。本名は、シンシア・アン・ステファニー・ローパー(Cynthia Ann Stephanie Lauper)。

1980年代を代表するアーティストであり、「ガールズ・ジャスト・ワナ・ハヴ・ファン」などをヒットさせたほか、グラミー賞、エミー賞、トニー賞の受賞経験がある。夫はデヴィッド・ソーントン。ゲイ・アイコンの一人としても知られている。

来歴

幼少期 - 1980年

1953年6月22日、ニューヨーク市ブルックリン区において、スイスおよびドイツ系アメリカ人の父と、シチリア系アメリカ人の母との間に生まれる。5歳の時、両親が離婚。母親・姉・弟と共にクィーンズ近郊のオゾン・パークへ移住。

12歳の時に、ギターの弾き方を学び、作詞を始める。学校では周りになじめず、授業を受けるかわりに、絵を描いたり、歌を歌ったりして過ごす。17歳の時、自分のおかれている環境に嫌気がさし、高校を退学しついに愛犬スパークルと共に家をでる。General Educational Developmentをパスし高校卒業認定資格を受け、en:Johnson State College(ジョンソン州立大学。ノーザン・バーモント大学(NVU)を経てバーモント州立大学 (Vermont State University - VTSU)に統合)でArtのクラスの講義などを受けた。 その間、生活のためウェイトレス、絵のモデル、競馬場で競走馬の調教後の生理運動役ホットウォーカー、空手教室の呼びこみ等様々な職につきながら、アートスクールに通ったり、トロント北部にある森でテントを張り、スケッチをしながら過ごした。このころ、付き合っていた男性からの提案で名前をCindyではなくCyndiと綴るようになる。カナダを旅行した後、ニューヨークに戻る。

ロングアイランド出身のバンドDoc Westに加入し、バックグラウンドシンガーとして活動するが、後に別のバンドFlyerに加入しリード・シンガーとして働く。

1977年、歌い続けることによって喉を酷使してしまい声帯に損傷を受けたために声が出なくなり、1年間音楽活動を休止し、ヴォイス・トレーナー、ケイティ・アゲストラの指導のもと、集中的なヴォーカルトレーニングを受けて、歌声を取り戻す。

1978年、キーボード兼サックス・プレイヤーのジョン・テュリと知り合い、意気投合し、自身のバンドブルーエンジェル(Blue Angel)を結成する。

1980年、ポリドール・レコードより、アルバム『Blue Angel』でデビュー。多くの評論家に絶賛されたにもかかわらず、ロカビリーサウンドが理解されなかったり、商業的成功を収められず、バンドはその後すぐに解散。彼女は自己破産を申請し、小売店で働き始め、生活のためにまた歌い始める。

1983 - 1989年

1985年のシンディー
USAフォー・アフリカ

ブルーエンジェル解散後、活動を続けていた頃に後の恋人兼マネージャーとなるマネジメント業のデビッド・ウルフと知り合い、ウルフの紹介を経て、ポートレート・レコードと契約を結ぶ。

ポートレートレーベルのエクゼクティブ・プロデューサー、レニー・ペッツやプロデューサーのリック・チャートフ、後にザ・フーターズを結成するロブ・ハイマンの全面的な協力によって制作されたアルバムで1983年に『シーズ・ソー・アンユージュアル/She's So Unusual』でソロ・デビュー。

1984年、ファースト・シングルの「ガールズ・ジャスト・ワナ・ハヴ・ファン」がヒット・チャートに急上昇して第2位に輝き、セカンドシングルの「タイム・アフター・タイム」は全米第1位になり、サードシングルの「シー・バップ」は第3位、「オール・スルー・ザ・ナイト」が第5位とデビューアルバムから4曲連続トップ5入りした初の女性ソロ・アーティストとなった。「タイム・アフター・タイム」はマイルス・デイヴィスらにもカヴァーされるスタンダードとなる。

第1回MTVミュージック・ビデオ・アワードで最優秀女性歌手賞を受賞し、ローリング・ストーン誌の1984年度の最優秀新人賞など数々の賞を総なめに。

映画『グーニーズ』のオリジナル・サウンドトラックに参加し、シングル「グーニーズはグッド・イナフ」も全米第10位のヒットとなった。

1985年、5枚目のシングル「マネー・チェンジズ・エヴリシング」は全米第27位になり、第12回アメリカン・ミュージック・アワードでは最優秀女性ポップ・ロック・ヴォーカル賞や最優秀女性ポップ・ロック・ビデオ・アーティスト賞を、グラミー賞では最優秀新人賞と最優秀アルバム・パッケージ賞を受賞。USAフォー・アフリカの『We Are The World』のレコーディングに参加。とても印象深い熱唱を披露し、音楽監督のクインシー・ジョーンズに「アドリブ入れてもいい?」と尋ね、彼を喜ばせたという有名なエピソードも残している。

デビューしてわずかな時間で80年代を代表するシンガーとなり、パワフルなヴォーカル、独自のファッション性も話題となった。

1986年、2枚目のオリジナル・アルバム『トゥルー・カラーズ/TRUE COLORS』を発表。日本ではオリコン洋楽アルバムチャートで1986年9月15日付から6週連続1位を獲得した。ファースト・シングル「トゥルー・カラーズ」は全米第1位を2週連続獲得し、セカンド・シングル「チェンジ・オブ・ハート」は第3位に、サード・シングルの「ホワッツ・ゴーイン・オン」は第12位に記録した。

1987年、映画『バイブス秘宝の謎』の撮影に入ってから、スランプに陥ってしまい、私生活ではマネージャーでもあり婚約者で共に暮らしていたデヴィット・ウルフと別離。

1988年、旧ソ連で行われた『米ソ・ソングライター・サミット』に参加したことが転機となり、様々な刺激を受けてスランプを抜け出すきっかけとなり活力を取り戻し、ほとんど出来上がっていたニュー・アルバムを白紙に戻して作り直して、1989年、3枚目のオリジナル・アルバム『ア・ナイト・トゥ・リメンバー/A NIGHT TO REMEMBER』を発表。自身初の全曲ラヴ・ソングとなった。

ファーストシングル「涙のオール・ナイト・ドライヴ/ I DROVE ALL NIGHT」は全米第6位を記録した。

1990 - 2000年

1990年、デビュー前から思うがままに、自由奔放に活動していたが、デビューしてからの商業的成功や名声を得たことにより、レコード会社や周りのスタッフからサウンドの面から様々な面で制限され、創作活動の自由を失っていた頃、再び映画出演をし、『マイアミ・ムーン/Off And Running』の撮影がマイアミで始まる。

そんな頃にオノ・ヨーコからリバプールで行われる『ジョン・レノン生誕50周年コンサート』への参加を依頼され、「ヘイ・ブルドッグ」「労働階級の英雄」をローパー自身でアレンジし、バンドメンバーと演奏する。

さらにベルリンの壁崩壊を記念してベルリンで行われた、『ザ・ウォール・コンサート』に参加したり、湾岸戦争反対のためのプロジェクトにオノ・ヨーコやレニー・クラヴィッツ達と共に参加する。

1991年、映画共演がきっかけで俳優のデヴィッド・ソーントンと11月に結婚する。

1992年、ミュージカル『タイクーン』のサウンド・トラックに参加し、シングル「ワールド・イズ・ストーン/The World Is Stone」がヨーロッパ各国、特にフランスでは3か月間トップ5内を記録するなど大ヒットする。

1993年、フーターズのロブ・ハイマン、エリック・バジリアンやアリー・ウィリス、夫のデビッド・ソーントンらの助けを借りて製作された4枚目のオリジナル・アルバム『ハット・フル・オブ・スターズ/HAT FULL OF STARS』を発表。ローパー自身で全曲曲作りに携わり、アルバム・カバーやさらにビデオ監督までプロデュースして全てを手掛けた。このアルバムはローパー自身がやりたいことを貫き通し、信じられる歌を歌い、周りの人たちにもっと自分の意見を提示してもいいことに気付き、妥協することなく製作された。自分の真実を語った新しいアルバムを一人一人に聞かせるために、アメリカでのクラブ・ツアーを行い、大きな話題を呼んだ。サンフランシスコのクラブのステージ上で、商業的な理由から外されたという8年の歳月を経て発表した「ア・パート・ヘイト」のことや自身の葛藤や苦悩を明らかにした。この年の年末、来日公演を行いその後、シンガポール・台湾と回る。

1994年、初のベスト・アルバム『グレイテスト・ヒッツ/TWELVE DEADLY CYNS...AND THEN SOME』を発表。 全世界で400万枚以上のセールスを記録し、ワールド・ツアーも南米、ヨーロッパ、日本と行われた。

1996年、5枚目のオリジナル・アルバム『シスターズ・オブ・アヴァロン/SISTERS OF AVALON』を発表。4年連続となる年末来日公演を行う。アルバムには上々颱風も参加しており、武道館公演では飛び入りでライヴに参加した。生田神社(神戸市)の「震災復興節分祭」で豆まきを行うために来日。しかし、豆まきは参拝客が殺到してわずか2分で中止になる。

1997年、11月に44歳にして長男デクラン・ワレスを出産。念願だった子供を授かる。

1998年、クリスマス・ソングやクリスマスに関係した曲を集めた初のシーズナル・アルバム『メリークリスマス…ハヴ・ア・ナイス・ライフ!/ Merry christmas...Have a nice life!』を発表。ジャケットには夫のデヴィット、ブックレットにはデクランと共に写っており、収録曲の「New Year's Baby(First Lullaby)」には当時乳幼児であったデクランの声が収録されている。このアルバムを最後にソニー・レーベルとの契約が一旦終わった。

1999年、『グラミー賞 Best Dance Recording』部門にノミネートされた「Disco Inferno」がJellybean Recordsから発売されクラブチャートでヒットし、シェールと共に3か月半に及ぶ大規模な北米ツアーにでる。またアメリカのTV番組「Mad About You」に再出演したり、クリストファー・ウォーケンと共演した映画『The Opportunists』の撮影が始まる等、女優活動も精力的に行う。

2000年、映画『The Opportunists』が公開され、各方面で高い評価を受ける。またこの年、ジョニ・ミッチェル・トリビュート・コンサートに出演したり、シェリル・クロウ、ハート、デスティニーズ・チャイルド達と共にガン撲滅のためのチャリティー・ライブ『Girls With Guitar Concert』に出演する。

2001年 - 2015年

2008年のゲイ・プライドでのシンディ

2001年、坂本龍一の呼びかけで地雷撲滅のためのチャリティーレコード『Zero Landmine』に多くのミュージシャンと共に参加したり、この年9月にアメリカで起こった同時多発テロのため、当初予定より延期され、趣向を変更し開催された『ジョン・レノン・トリビュート・コンサート』に参加し、セントラル・パークで、「Strawberry Fields Forever」を歌う。

ロブ・ハイマン、ジャン・パルスフォード、坂本龍一等との共作曲を収録したウィリアム・ウィットマンとの共同プロデュースで7枚目のオリジナルアルバム『SHINE』を完成させ、夏にEdel America Records(エデル・レコード)から発売される予定であったが、発売直前にEdel America Records が倒産し、アルバム発売は中止されてしまう。

2002年、アルバム『SHINE』に収録予定であった曲の中から、それまでライブやイベント等で歌ってきてファンのリアクションの良かった曲を選曲し収録された5曲入りのミニアルバムがOglio Records(オグリオ・レコード) から発売される。また、ラスベガスで行われたディーバーズ・ライブにスペシャルゲストとして出演し、シェールとデュエットを披露した。その後再びシェールと共に6か月にも及ぶ大規模な北米ツアーを行い、延べ100万人以上の観客動員数を記録し、ローパーの以前と変わらないライヴパフォーマンスに各方面から大きな賞賛を受ける。

またシェールとのツアーの合間には、ソロライブを行ったり、店頭でのサイン会&ミニライブを行うなど、原点に戻った地道な活動を行い、『Shine EP』はマイナーレーベルからの発売にもかかわらず、好セールスを記録した。

2003年、ソロ・ツアーやミート・ローフとのジョイント・ツアーなど精力的にライブ活動を行う。ソニーと再契約を結び、幼少の頃に聴きながら親しんでいた1940年から1960年代の曲をカヴァーしたカヴァー・フル・アルバム『アット・ラスト/AT LAST』を発表。10月下旬から、久々の大規模なソロ・ツアーが始まり、大晦日のニューヨークでは、タイムズ・スクエアでのニューイヤーズ・イブのイベントにも参加する。

2004年、諸事情(上記参照)でお蔵入りとなっていた7枚目のオリジナル・アルバム『シャイン/SHINE』を日本限定で8枚目のフル・アルバムとして発表。6月には8年ぶりとなる日本ツアーが実現し、6都市全8公演を行い、変わらないパワフルなライブパフォーマンスを披露した。その後ツアーはオーストラリア、再び北米へと9月まで続けられる。2003年から続けられた『At Last Tour』の地元ニューヨーク公演を収めた、ライヴDVD『Live...At Last』が発売される。また、11月にオランダで行われた『Night of the Proms』に参加、12月にはノルウェーで行われた『ノーベル平和賞コンサート』にも参加した。翌年の2月に行われたグラミー賞では、『At Last』に収録された「Unchained Melody」が『Best Instrumental Composition Accompanying a Vocal』部門にノミネートされる。

2005年、ジェフ・ベック、サラ・マクラクラン、シャギー、アニー・ディフランコ、ヴィヴィアン・グリーン、パフィーなど、多くの豪華ゲストを迎えて、過去のヒット曲や人気曲を自らカヴァーしたセルフカヴァー・アルバム『ボディー・アコースティック/The Body Acoustic』を発表。 それにあわせて、プロモーション来日を果たし、様々なメディアに登場し、東京で開催された『GO LOHAS! 2005』のイベントでは、新作から3曲を披露した。 帰国後は北米ツアーを開始し、ツアーの合間にはアメリカン・ミュージック・アワードのステージで、サラ・マクラクランと「Time After Time」をデュエットで披露した。

2006年、『THE THREEPENNY OPERA(三文オペラ)』(ベルトルト・ブレヒト作、クルト・ヴァイル作曲)で娼婦「ジェニー」役でブロードウェイ・ミュージカルデビューを果たし、4月から6月までSTUDIO 54にて出演。 6月に行われたトニー賞では、共演者のAlan Cummingとパフォーマンスを披露した。また、7月には同性愛者のオリンピック『ゲイ・ゲームズ』閉会式に出演した。

レインボーフラッグをまとって走り回るシンディ(2006年7月22日、ゲイ・ゲームズ)

2007年、6月に多数のアーティスト達と『True Colors 2007 Tour』を行う。ツアーの目的は同性愛者の権利の擁護推進のためのもので、チケット1枚につき1ドルが『Human Rights Campaign』と題された人権擁護活動に寄付された。5時間にも及ぶ大規模なショーは北米16都市で公演されて大成功を収め、参加したアーティストが曲を提供した記念盤のCDが発売される。 また、8月にはペット・ショップ・ボーイズ、シャギー等とともにシンガポールで行われたSingfestに参加した。

2008年5月14日に9枚目のオリジナル・アルバム『ブリング・ヤー・トゥー・ザ・ブリンク〜究極ガール/BRING YA TO THE BRINK』を発表。 オリジナル・アルバムとしては7年ぶり、メジャーでレコーディングしたフル・オリジナル・アルバムとしては12年ぶり。 TOYOTA MARK X ZiOのCFソングとしてOAされていた収録曲の『セット・ユア・ハート/SET YOUR HEART』をはじめ、全曲、ダンス・ミュージックとなっている。 アルバム発売日に合わせて来日し、東京 丸の内 丸ビル1F MARUCUBEにてニュー・アルバム発売記念ライヴをし、新曲を含めた数曲を披露。 靴を脱ぎ、ステージから降りて客席でパフォーマンスをしたり等、イベント当選者や仕事帰りの人々を楽しませ、様々なメディアにも出演した。 2008年9月にCYNDI LAUPER JAPAN TOUR2008と題し、12年ぶりの日本武道館公演を含む3都市全4回の来日公演が行われる。その後、ヨーロッパ、南米でのツアーを行う。

2011年のシンディ

2011年3月11日に起きた日本における東日本大震災の直後、日本でのコンサートツアーのために来日(彼女の乗った飛行機は地震による閉鎖のため成田空港に降りられず、米軍横田基地に着陸した)。他の海外ミュージシャンが日本での公演を中止して帰国ないし、来日をキャンセルし、レコード会社からも帰国するように勧めら­れていた中、2011年3月16日から、予定通りコンサートを行った。更に会場でチャリティのための募金を呼び掛け、コンサートをチャリティイベントにした。

また、大阪滞在時に湯川れい子へ「こういう時こそ、日本にくることが出来て、私の人生の中でも名誉なことでした。ありがとう」と綴ったメールを送っている。

2012年6月18日にRAW(プロレス団体WWE)にゲストホストとして登場。過去には1985年に開催された第1回レッスルマニアでウェンディ・リヒターのセコンドとして出場している。同年、ミュージカル『キンキーブーツ』(原作は2005年公開の同名映画)の音楽を担当。第67回トニー賞でオリジナル楽曲賞を受賞した。

2015年1月 1985年に発売されたデビューアルバム『シーズ・ソー・アンユージュアル』の発売30周年を記念したジャパンツアーシンディ・ローパー ~30周年アニヴァーサリー・セレブレーション ジャパン・ツアー2015を開催。武道館公演を含む全6都市公演。

2016年 - 現在

2016年1月、ローパーは2016年5月6日に新しいアルバムをリリースすることを発表した。このアルバムは彼女の早期カントリークラシックスの解釈で構成され、『Detour』と題された。この発表は、ハーラン・ハワードの「Heartaches by the Number」の彼女のバージョンのリリースと、Kelsea BalleriniとIngrid MichaelsonとのSkyville Liveでのパフォーマンスによって支持された。また、2016年2月17日には、ワンダ・ジャクソンの「Funnel of Love」の彼女のバージョンがリリースされた。

2016年2月、ローパーは『キンキー・ブーツ』の英国プロダクションへの貢献に対して、スティーブン・オレマスと共にオリビエ賞にノミネートされた。また、2017年1月には、このプロダクションのアルバムがグラミー賞のベストミュージカルシアターアルバムにノミネートされた。

2016年5月、ローパーはフランスのプロデューサー、ジャン=ミシェル・ジャールによる『Electronica 2: The Heart of Noise』の「Swipe to the Right」にフィーチャーされた。この『Electronica』プロジェクトの第2弾アルバムは、電子音楽に関連するアーティストとのコラボレーションに基づいている(Tangerine Dream、Moby、Pet Shop Boysなど)。

2017年1月、ローパーはAustin City Limitsの第42シーズンに出演し、『Detour』からのカントリーチューンとともに、彼女のクラシックな曲のいくつかを披露した。このエピソードはPBSで放送された。

2018年3月、ローパーは『タイム・アフター・タイム』の共作者であるロブ・ハイマンと共に、1988年の映画『ワーキング・ガール』のミュージカル版の楽曲を作曲することが発表された。この映画にはメラニー・グリフィスとシガニー・ウィーヴァーが出演した。彼女はハイマンと協力したが、音楽を1980年代のように聞こえるものにしたかったと述べている。ミュージカルはトニー賞受賞者のクリストファー・アシュリーによって上演され、ミュージカルの開発プロダクションのプレミアは2021/2022シーズンに予定されていた。

Grandin Roadのために、ローパーは独自に「Cyndi Lauper Loves Christmas」という彼女自身のクリスマスコレクションをデザインし、2018年9月から利用可能にした。「私はいつもクリスマスが好きで、それは私に小さなことで幸福を見つけることを思い出させてくれます」とローパーは述べた。

彼女の年次のHome For The Holidaysコンサートは、ニューヨークのビーコンシアターで2018年12月8日に開催された。

ローパーはテレビシリーズMagnum P.I.のリブートのエピソードで弁護士役としてゲスト出演しました。このエピソードは「Sudden Death」と題され、2018年10月22日に放送された。

2018年11月15日、ローパーはビルボードの第13回年次「ウィメン・イン・ミュージック」イベントでアイコン賞を受賞することが発表され、12月6日にニューヨーク市で授与された。ビルボードの編集ディレクター、ジェイソン・リプシュッツは「世界中がサインディ・ローパーのポップ音楽の力を認識し、同様に彼女は音楽を超えて不可欠な才能を活かし、現代社会にポジティブな変化をもたらし、真のアイコンになっています」と述べた。

曲「Together」は、2019年1月に公開されたカナダのコンピューターアニメーション映画『Racetime』にフィーチャーされた。もともとフランス語でDumasによって書かれ、演奏されたこの曲は、映画の英語版である『La Course des tuques』の英語翻訳をローパーが演奏した。

2019年6月26日、ローパーはStonewall 50 – WorldPride NYC 2019のオープニングセレモニーでパフォーマンスを行った。ハリウッドボウル管弦楽団の伴奏を受け、トーマス・ウィルキンスが指揮をし、ローパーは2019年7月12日と13日にアイコニックなハリウッドボウルで2つのコンサートを行った。

2019年9月、ローパーがジェーン・リンチと共演し、今日の「ゴールデン・ガールズのようなもの」と形容される新しいNetflixコメディシリーズに出演することが発表された。なお2021年3月時点で、このプロジェクトに関する更新情報は無い。

ホワイトハウスで記者に向かって演説するシンディ(2022年)

2020年1月26日、ローパーはロサンゼルスで開催された第62回グラミー賞授賞式で、1980年の映画『Fame』のサウンドトラックからの曲「I Sing the Body Electric」のコーラスを歌った。この授賞式は長らくグラミー賞テレビプロデューサーを務めたケン・アーリッヒへの送別の一環で、他にベン・プラット、カミラ・カベロ、オリジナルの映画に出演したデビー・アレンなどが出席した。

2020年4月23日、ローパーは新型コロナウイルスのパンデミックによって経済的に困難を抱えるLGBTQナイトライフの労働者に対する資金調達コンサートに参加し、「True Colors」を披露した。このコンサートは、歴史的なグリニッジ・ヴィレッジのゲイバーであるStonewall Inn Gives Back非営利団体によって発起され、他の出演アーティストにはケイト・ピアソン、Our Lady J、ルーファス・ウェインライト、ダレン・ヘイズなどが含まれた

2020年11月、ローパーは元トップテン「アメリカン・アイドル」ファイナリストのケイシー・エイブラムスと共演し、曲「Eve of Destruction」のカバーバージョンを制作した。

2021年11月、ローパーはShea Diamondのトラック「Blame it on Christmas」のゲストボーカルとしてフィーチャーされた。翌月には公式ビデオがリリースされた。

グラストンベリー・フェスティバルでのシンディ(2024年)

ローパーは2022年のMusiCares Person of the Year Tribute Showでジョニ・ミッチェルを称えるコンサートに出演した。

2023年、長編ドキュメンタリー映画 『レット・ザ・カナリア・シング』が公開された(日本では、2025年4月にフェアウェルツアーの前夜祭として期間限定公開された)。

2024年10月18日、フェアウェル・ツアー『Girls Just Wanna Have Fun Farewell Tour』をカナダより開始。カナダ公演では芸術家の草間彌生とのコラボレーション演出が行われた。また2025年4月19日から25日まで、フェアウェル・ツアーの日本公演『シンディ・ローパー・フェアウェルJAPANツアー』を大阪と東京で開催。ローパーが日本で単独公演を行うのは6年ぶり15度目となる。また25日の日本武道館公演では、日本武道館での公演数が通算16回となり、それまでホイットニー・ヒューストンが保持していた日本武道館洋楽女性アーティスト最多公演回数記録(14回)を更新した。同年、ロックの殿堂入りを果たした。

人物

ニューヨークのゲイ・プライドに登場したシンディ(2012年)
アーティストとして
人物像

エピソード

ディスコグラフィ

グラストンベリー・フェスティバルでパフォーマンスするシンディ(2024年)

スタジオ・アルバム

サウンドトラック

コンピレーション・アルバム

シングル

2009年以降のシングルは抜粋。また、タイトルが原題の場合は日本盤のリリースはなく、邦題が付いていても特記があるタイトルはリリースはない。

参加作品

映像作品

Blue Angelのディスコグラフィ

アルバム
  • 『ブルー・エンジェル』 - Blue Angel(1980年)
シングル
  • I Had a Love(1980年)
  • Late(1980年)
  • Fade(1980年)

書籍

映画

日本での活動

踊るシンディ(2011年)

大の親日家として知られる。

社会活動
日本人との親交
日本語能力
来日時のエピソード
日本食

テレビCM

公演

開催年 タイトル 会場
1986年 True Colors Tour
9公演

1986.09.10 - 13, 22 日本武道館

1986.09.16 静岡産業館

1986.09.17, 18 大阪城ホール

1986.09.19 愛知県体育館

1989年 A Night To Remember Tour
12公演

1989.09.12 広島サンプラザ

1989.09.13 福岡国際センター

1989.09.14, 15 大阪城ホール

1989.09.17 名古屋レインボーホール

1989.09.18, 19 日本武道館

1989.09.22 横浜アリーナ

1989.09.25 月寒グリーンドーム

1989.09.27 仙台市体育館

1989.09.29 静岡県営草薙体育館

1989.09.30 新潟市体育館

1991年 American Music Awards Concert Series
2公演

1991.03.20, 21 横浜アリーナ

1993年 Hat Full of Stars Tour
11公演

1993.12.12 NHKホール

1993.12.13 ゆうぽうと簡易保険ホール

1993.12.14 仙台サンプラザ

1993.12.17 名古屋センチュリーホール

1993.12.20 広島郵便貯金ホール

1993.12.21 福岡市民会館

1993.12.22 神戸国際会館

1993.12.24 名古屋ヒルトンホテル

1993.12.25 松本市文化会館

1994.01.03 渋谷クラブクアトロ

1994.01.05 ゆうぽうと簡易保険ホール

1994年 Twelve Deadly Cyns Tour
13公演

1994.12.02 磐田市文化会館

1994.12.04 松本市文化会館

1994.12.05 名古屋センチュリーホール

1994.12.07 石川厚生年金会館

1994.12.08 新潟県民会館

1994.12.10 恵比寿ザ・ガーデン・ホール

1994.12.11 仙台サンプラザ

1994.12.12 北海道厚生年金会館

1994.12.15 渋谷公会堂

1994.12.16 NHKホール

1994.12.17 神戸国際会館

1994.12.19 メルパルクホール広島

1994.12.20 福岡市民会館

1995年 Twelve Deadly Cyns Tour
13公演

1995.11.26 月寒グリーンドーム

1995.11.28 仙台サンプラザ

1995.11.29 群馬県民会館

1995.12.01 横浜文化体育館

1995.12.02, 03 日本武道館

1995.12.05 大阪城ホール

1995.12.06 名古屋クラブクアトロ

1995.12.07 名古屋レインボーホール

1995.12.08 広島厚生年金会館

1995.12.09 心斎橋クラブクアトロ

1995.12.11福岡国際センター

1995.12.13 渋谷公会堂

1996年 Sisters of Avalon Tour
12公演

1996.11.25 渋谷クラブクアトロ

1996.11.26 秋田県民会館

1996.11.28 月寒グリーンドーム

1996.11.30 パシフィコ横浜

1996.12.02, 03 日本武道館

1996.12.05 川口リリアメインホール

1996.12.06 名古屋レインボーホール

1996.12.08 神戸国際会館ハーバーランドプラザ

1996.12.09 大阪城ホール

1996.12.11 福岡国際センター

1996.12.12 岡山市民会館

2004年 The At Last Tour
8公演

2004.06.13 東京厚生年金会館

2004.06.14 北海道厚生年金会館

2004.06.17, 21 渋谷公会堂

2004.06.18 大阪厚生年金会館

2004.06.20 名古屋市公会堂

2004.06.23 広島アステールプラザ

2004.06.24 福岡市民会館

2007年 SUMMERSONIC 07
Japan Tour 2007
2公演
2008年 Japan Tour 2008
4公演

2008.09.23 グランキューブ大阪

2008.09.24 日本武道館

2008.09.25 愛知県芸術劇場

2008.09.27 恵比寿ガーデンホール

2011年 MEMPHIS BLUES Japan Tour 2011
6公演
2012年 Japan Tour 2012
6公演

2012.03.07 新潟県民会館

2012.03.09 - 11 オーチャードホール

2012.03.13 グランキューブ大阪

2012.03.15 愛知県芸術劇場

2013年 SUMMER SONIC 2013
2公演

2013.08.10 舞洲サマーソニック大阪特設会場

2013.08.11 幕張メッセ

2015年 シンディ・ローパー ~30周年アニヴァーサリー・セレブレーション ジャパン・ツアー2015
6公演

2015.01.11 フェスティバルホール

2015.01.12 本多の森ホール

2015.01.15 センチュリーホール

2015.01.16 福岡サンパレス

2015.01.18 仙台サンプラザ

2015.01.20 日本武道館

2019年 デビュー35周年 Anniversary Tour
8公演

2019.10.08 仙台サンプラザ

2019.10.10, 11, 25 オーチャードホール

2019.10.15 名古屋市公会堂

2019.10.18 本多の森ホール

2019.10.21 上野学園ホール

2019.10.23 グランキューブ大阪

2025年 シンディ・ローパー・フェアウェルJAPANツアー
4公演

2025.04.19 Asueアリーナ大阪

2025.04.22, 23, 25 日本武道館

脚注

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注釈

  1. ↑ 後の1988年、転校を繰り返した4校の高校のうち、ニューヨーク州リッチモンドにあるリッチモンド高校より名誉卒業生として認められることになり、卒業式にも出席した。Back To School With Cyndi Lauper, 1988 -Girl just wants to have a diploma-

出典

  1. 1 2 3 4 5 6 Erlewine, Stephen Thomas. “Cyndi Lauper | Biography & History”. AllMusic. All Media Group. 2021年4月26日閲覧。
  2. ↑ シンディ・ローパーに経済難の過去、現在は経済的にも精神的にも安定。 - ライブドアニュース
  3. ↑ “Cyndi Lauper On Being A Gay Icon”. Huffpost (2013年2月8日). 2024年11月7日閲覧。
  4. ↑ "Cyndi Lauper - and Lou Reed."
  5. ↑ 『シンディ・ローパー自伝』p.58(白夜書房)
  6. ↑ オリコンのデータ協力による “全曲、80年代の週間オリコンチャートNo.1” の洋楽コンピが登場!、ソニーミュージック、2017年8月8日。
  7. ↑ WWE JAPAN.com 「シンディ・ローパー、27年ぶりにWWE登場!」
  8. ↑ “ソロ・デビュー40周年を記念した長編ドキュメンタリー映画 『レット・ザ・カナリア・シング』 が、2023年度トライベッカ映画祭にて6/14 (水)に世界初上映 2023.06.09” (2025年6月8日). 2025年6月8日閲覧。
  9. ↑ “本日4/11(金)より、フェアウェルJAPANツアーの<前夜祭>として、ドキュメンタリー映画 『シンディ・ローパー:レット・ザ・カナリア・シング』 が一週間の期間限定で全国劇場公開!<丸ごと一冊シンディ>のムック本も本日発売。2025.04.11” (2025年6月8日). 2025年6月8日閲覧。
  10. ↑ “シンディ・ローパーのラストツアーがカナダで開幕! 草間彌生とコラボした演出を披露”. ARTnews JAPAN(株式会社MAGUS) (2024年10月22日). 2025年4月26日閲覧。
  11. 1 2 “シンディ・ローパー・フェアウェルJAPANツアー初日、ASUEアリーナ大阪公演レポート”. ソニーミュージック (2025年4月20日). 2025年4月26日閲覧。
  12. 1 2 “【ライブレポート】シンディ・ローパー、輝き満ちた武道館から“新たな章”へ”. BARKS (2025年4月26日). 2025年4月26日閲覧。
  13. ↑ “シンディ・ローパー最新取材「諦めずに続ければ、きっと報われる」ロックの殿堂入りに何を思う?” (2025年6月8日). 2025年6月8日閲覧。
  14. ↑ 2008年6月号「日経エンタテインメント!」
  15. ↑ “「女性洋楽アーティスト武道館最多公演」 記録を打ち立てる!フェアウェルJAPANツアー最終公演レポート 2025.04.26” (2025年6月8日). 2025年6月8日閲覧。
  16. ↑ 2005年11月19日のCXテレビ『僕らの音楽2』放送、PE'Zとの対談にて[出典無効]。
  17. ↑ ブエノス・アイレス空港カウンター
  18. ↑ ブエノス・アイレス空港
  19. ↑ シンディ・ローパー、マドンナとの確執は「対立を煽るためのでっち上げ」 VOGUE JAPAN 2024年10月28日 (2024年10月30日閲覧)
  20. 1 2 3 遅咲きのスーパースター、シンディ・ローパー - Singalong Double SONS(2017年1月14日掲載)
  21. ↑ 阪神大震災から一年半で建て直した「生田神社」の復興長老って知ってる? イーアイデム(2019年1月17日掲載)
  22. ↑ 「吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLD」2009年10月20日放送[出典無効]
  23. ↑ 2008年5月の『情報プレゼンター とくダネ!』出演時[出典無効]
  24. ↑ 1996年11月30日の『THE夜もヒッパレ(日本テレビ系)』の放送、シンディ・ローパー、スペシャルメドレーのコーナーにて[出典無効]。
  25. ↑ 1984年、フジテレビ『笑っていいとも!』出演時[出典無効]。
  26. ↑ 2005年11月19日のフジテレビ『僕らの音楽2』放送、PE'Zとの対談にて[出典無効]。
  27. ↑ 2005年11月19日のフジテレビ『僕らの音楽2』放送、PE'Zとの対談にて[出典無効]。1984年、フジテレビ『笑っていいとも』出演時[出典無効]。

外部リンク