『FRUiTS』(フルーツ)は、青木正一が主宰するストリート編集部(レンズ社)が1997年から2016年にかけて発行した、月刊の青文字系ストリート・スナップ雑誌。本誌は2000年代において原宿ファッションが世界的な評価を得る契機を作り、また1990年代末から2010年代にかけての原宿ファッションの変遷を通覧できる貴重な資料となっている。

サイズはB5変型版、80ページ。毎月23日に発行し、価格は2001年時点で500円、全国の書店やコンビニで販売され、日本の代表的なストリート・スナップ誌として欧米でも販売された。発行部数は2016年時点で3万部。
内容は、デコラ、パンク、サイバーなどの最新トレンドを着こなす原宿の若者のストリート・スナップがメインで、ほか若手クリエイターやファッション・カルチャー・リーダーのインタビューなどを掲載した。想定する読者層は、ファッションに関心のある10-20歳台の若い女性を主とし、ほか日本のファッション文化に関心がある海外のデザイナー、アーティスト、クリエーターも含まれた。
「フルーツ」という雑誌タイトルの由来について青木は、被写体となった女性たちの色使いが派手だったこと、フルーツのようにフレッシュだったこと、そして海外のストリート・ファッションの自由さを紹介する青木の以前からの活動が種となりようやく日本で実を結んだ感慨を挙げている。創刊の頃のキャッチフレーズ「原宿フリースタイル」には、自由なファッションを互いに尊重しあう多様性というメッセージが込められている。
青木にとって被写体となる若者は「作品」であり、作品としての完成度の高さが撮影と掲載の基準だった。そこで重視されるのはコーディネートの独創性であり、アパレル・ブランドではない。青木としては、カメラマンとして自己表現するというより、その時々のファッションを収集し、記録として後に残したいという思いがまずあった。そのためスタッフに撮影を頼むときも「彫刻を撮るカメラマンみたいな感じで」と言い、採集者になぞらえて「ハンター」と呼んでいた。
撮影は原宿のほか、渋谷、大阪のファッション・スポットでも行なわれた。創刊の頃は青木自身が撮影に歩いていたが、2000年頃からは撮影をスタッフへ任せるようになり、2011年時点では主に3人の女性スタッフが撮影を行なっていた。
1955年に東京で生まれた青木は、プログラマとして5年ほど務めたあと退職し、5年ほど定職に就かずブラブラしていた。その期間に半年ほど欧州に滞在し、パリの女性ファッションが当時の日本のハマトラやニュートラと全く違うことが印象に残った。その後、帰国して暇にまかせて色々な本を読むうち、ファッションは芸術どころか文化としてもやや低俗にみられがちだが、そもそも文明と共に生まれた根源的な表現行為であり、仕事として面白そうだという考えに至った。青木にとって“真のファッション”とは、アパレルが提案するものでなく、人々が実際に街で着るスタイルのことであり、それをメディアという形でやろうと思い立った青木は、出版関係の経験は皆無でカメラすらまだ持っていなかったが、準備を重ね、自身が欧州(主にロンドンとパリ)で撮影したストリート・スナップ写真を主体とする雑誌『STREET』を1985年に創刊した。この雑誌は、今日でいう「ファッション・スナップ」の先駆けとも言えるものだった。
もともと青木は東京のファッションに殆ど興味が無かったのだが、1996年頃から東京のファッションの変化を感じ、『STREET』内で東京のストリート・スナップ特集をしたところ、予想以上の好反響があった。そしてほどなく、西欧のファッションをいかに消化するかという既存のトレンド文脈を全く無視した、多様でユニークなファッションが原宿に出現し始めた。竹の子族、ローラー族、路上バンド演奏など数々のムーブメントを生み出してきた原宿の歩行者天国(いわゆるホコ天)で「日本発の独自ファッション」という稀有な現象が今まさに起ころうとしていると青木は感じ、そのファッション革命を雑誌という形で記録しようと考えた。
青木は欧州で『STREET』の撮影をする時は相手に構わず勝手に撮っていたが、日本では声をかけて撮ることにした。最初にアプローチした少女は「いいですよ」と言うと特にポーズをとったり笑うでもなく直立して青木を待ち、青木はその様子を「面白いな」と思いつつシャッターを切った。当初から意図したものではなかったが、結果的に、出来上がった写真はどれもそんな感じのスナップになった。

半年ほどの準備期間を経て、1997年6月に『FRUiTS』は創刊された。原宿のストリート・スナップに特化という斬新なスタンスは原宿界隈で大きな話題となり、創刊日には編集部の電話が鳴りっぱなしだったという。特に販促せず書店へ置いただけにもかかわらず『FRUiTS』は飛ぶように売れ、5年ほどはかなりの利益が出た。JR原宿駅表参道口前の GAP 原宿前で青木がよく撮影しているらしいという噂から、撮影されたい若者が GAP 前にたむろす「青木待ち」という現象まで起こった。
しかし1998年6月にホコ天が廃止され、シンプルなスタイルを提案する『mini』が2000年に創刊された頃よりストリート・ファッションの最前線は裏原宿や代官山へ移り、『FRUiTS』のような派手な装いが下火になったことで青木の眼鏡にかなう若者が街角から減ってしまい、この頃から青木は撮影をスタッフへ任せるようになった。
2010年代に入ると青木の撮影基準を満たす若者がさらに減少し、2015年にはページ数を創刊以来の80ページから64ページへ減らしもしたが、2016年12月発売の233号をもって月刊発行を終了し、紙媒体としては事実上休刊した。青木は月刊終了の最大の理由として「オシャレな子が撮れなくなったこと」を挙げ、ほかネット環境の普及により紙媒体を毎月発行するスタイルが時代にそぐわなくなったとも述べた。
出版社のファッション誌がマスターピースを提示して消費者がその枠内でおしゃれの可否を判断するという従来の構造を超え、本誌は消費者自身が創造した新しいファッションをストリート・スナップによって消費者へ届けた点で斬新だった。
2000年代に原宿ファッションが海外から大きく注目されたのは、本誌のスナップ写真集がイギリスで2001年と2005年に発行されたことによるところが大きい。
原宿にはいつも注目している。日本には、原宿のストリートスナップだけの雑誌があるんだ。 — カール・ラガーフェルド