ニーコ | |
|---|---|
|
Japan Expo 2011(フランス) | |
| プロフィール | |
| 本名 | 西萩 五十鈴 |
| 性別 | 女性 |
| 出生地 |
|
| 出身地 |
|
| 生年月日 | 1983年10月28日(43歳) |
| 血液型 | A型もしくはO型 |
| 職業 | モデル、声優、歌手、女優 |
| 事務所 | アクロスエンタテインメント |
| 配偶者 | あり |
| 声優活動 | |
| 活動期間 | 2006年 - |
| ジャンル | アニメ、ゲーム、吹き替え、ナレーション |
| デビュー作 | 家庭教師ヒットマンREBORN!(リボーン) |
| ファッションモデル活動 | |
| 活動期間 | 2001年 - |
| ジャンル | ファッション雑誌 |
ニーコ(1983年10月28日 - )は、日本の女性ファッションモデル、声優、歌手、女優、ブランドディレクター。兵庫県尼崎市生まれ、大阪府枚方市育ち(プロフィール上は大阪出身と表記されることが多い)。アクロスエンタテインメント所属。
本名、
主な代表作に『家庭教師ヒットマンREBORN!』(リボーン)などがある。
3歳まで兵庫県尼崎市に住んでおり、3歳から18歳まで大阪府枚方市で育つ。
子供の頃の夢は漫画家だった。小さい時は恥ずかしがり屋で、姉の陰に隠れているような子供だった。小学4年生から学習塾に行き、中学受験をして姉と同じく高校・大学に進学するつもりだったこともあり、両親もそれを望んでいた。
昔から声が変わっていたため、小学校時代は教科書を読むと笑われて、男子のからかいの的であった。小学校の高学年まで自分の声については無知だった。小学校高学年の時に自分の声を初めてテープレコーダーで聞いた時は、予想外の声に思わず叫び、テープレコーダーを放り投げた程だった。そのため声についてはコンプレックスでしかなかった。それまで自身の中では「低めのカッコイイ感じの声」と思い込んでいたという。
中学1年生の時に篠原ともえがテレビに出演していたのを見て、雷で撃たれたような衝撃を受け、それで「あんなふうに人を楽しませ、夢を与える存在になりたい」と思うようになった。当時は、どうすればああなるかについてはわからなかったが、「大学に行って勉強しても、自分は人を楽しませることはできない」と思うようになった。それで必死で親を説得して、同志社女子高等学校卒業後にバンタンデザイン研究所ヘアメイク科でヘアメイクの勉強をすることを認めてもらったという。
大阪府でヘアメイクの勉強中に読者モデルにスカウトされて、2001年、雑誌『Zipper』の読者モデルでデビュー。その後は『FRUiTS』、『Gothic & Lolita Bible』、『KERA』など色々な雑誌に出たり、アパレルブランドの広告モデルなど10年くらいしていた。
2010年、自身のオリジナルブランド『SHAMPOOOOO』を立ち上げる。
2015年2月、自身のブログで結婚と妊娠を発表。8月2日に第1子の男児を出産。
以前はスマイルメーカー、ソニー・ミュージックアーティスツ、アソビシステムにクリエイターとして所属していた。
2022年1月6日、芸能事務所アクロスエンタテインメントに所属。
その後、「東京で人の前に出る仕事をしよう」と上京し、2003年より3年間、インディーズバンド『SLIP』でボーカルを務める。
2003年か2004年頃に読者モデルとして深夜のテレビ番組に出演していたが、それを偶然アニメのキャスティング会社のプロデューサーが観て「なんだ?この声!」と驚き、手帳に番組情報とニーコの名前をメモしたという。番組が終えて2年後ぐらいの時に『週刊少年ジャンプ』で連載中から人気があった『家庭教師ヒットマンREBORN!』がアニメ化されることになった時に、そのプロデューサーは「あの子に声をかけよう!」と思い出し、ニーコにその作品オーディションの話が来た。その時に「楽しそう!まだ見ぬ世界、やってみよう!」と思い、そのオーディションを受けることにしたという。
2006年、テレビアニメ『家庭教師ヒットマンREBORN!』のリボーン役に抜擢され、声優として活動を開始する。アニメ業界については漫画が好きで、アニメもたまに見たり、完全に「ファン」として楽しんでたため、当時所属していた事務所から「アニメに興味ありますか?」と言われるまで完全に頭になかった。当時は「自分が声優になる」と思っていなかったが、「やってみる!面白そうだから行きます!」という軽いノリだった。当初は違う役でオーディションを受けていた。その時にそのプロデューサーから「この声、主役のほうが向いてない?」ということになり、いきなり主人公のリボーン役で声優デビューすることになったと語る。
声優活動の開始当初については、声優からはそれほど厳しい風当たりはなく、感謝しているという。共演していた宍戸留美を含め、皆に面白がってもらえたとも語る。
舌ピアスした声優はニーコくらいしかおらず、発表した時はかなり叩かれていた。当時のオフィシャルサイトに1時間に100件程「土下座して謝れ」、「舌ピアスふざけてんの」という内容のメールが来たりしていた。そのようなメールでサーバーもパンク寸前だったが、ニーコ曰くその気持ちについてはわかっていた。余りのメールが届いたため、逆に達観してしまい、「自信を持って言うしかない」と覚悟し、「皆さん、さまざまな声をいただきありがとうございます。皆さんのお気持ちすごーくわかります」とブログを更新した。その時にここで卑下してしまっていたら、スタッフや原作者の天野明に申し訳ないとも思い、「本気で頑張ります!リボーンを愛して、大切にやっていくので、どうか観てやってください!」のような気持ちで収録していた。当初はプロデューサーの「ニーコのままでいいから」という言葉を信じて、体当たりで演じていた。回数を重ねるごとに、徐々にリボーンの完成系になっていったと語る。当時は自分に出せる100%の気持ちで演じていたが、「1話については、全く同じ演技でやれと言われても逆に出来ない」と断言する程で、「初めての色々なモノが詰まっている」と語る。
芸名については、読者モデルで雑誌に出ていた時に、学校の後輩に決めてもらったと語る。芸名の由来は小学生の時のあだ名が「にーこん」だったからとも語る。当時のほかのあだ名については「にーちゃん」、「おはぎ」、「おはげ」などがある。
小学校時代はラケット野球部、バドミントン部、漫画部、料理部など、中学・高校時代はクラシックギター・マンドリン部に所属していた。
アメリカ村の古着屋とウィッグショップと、大阪府大阪市西区南東部堀江のショップと音楽スタジオと居酒屋とカフェでアルバイトをしていた。
ヘアメイクの学校に通っていた頃は、「人を元気にしたい、刺激を与えたい」とは思っていたが、まだ具体的な手段がわからなかった。色々と模索中の18歳の選択肢の一つにヘアメイクがあり、読者モデルとして活動していたところ楽しく、何よりも自分に合っていたという。自分の好きなものを誌面に掲載していたところ「見たよ!ニーコちゃんの真似しました!」とダイレクトに反応が返って来た。そこで、自分がずっとやりたかった「人に刺激を与える」ことが、「あれ?もうできてるんじゃないの?」と感じた。また、同期に表方と裏方を経験できたのも大きいと語っている。講師と一緒にアシスタントとして撮影を見学させてもらうことがあり、ある撮影に行ったところ、その時のモデルが「ちょっと、早くしてよね!!」という漫画に出てくるような横暴な態度で衝撃を受け、「じゃあ、(その人の代わりに)ニーコが出よっかな!」と思うぐらいだった。そして「表方の人に対してそんなことを感じてしまった私は、もう裏方をやってはダメだな」と悟ったといい、「その撮影に行ったのも一つの転機でもあった」と振り返っている。
趣味は飲み会、クラシックギター、ヘアメイク、即興ソング、人の血液型を当てること。
活動をする上で、「人に元気とか希望とか、刺激とか楽しさを与えたい」という想いがあり、そのための手段はなんでもいいこともあり、ファッションモデル、声優、歌手、女優とマルチに活動している。それらの活動については特に突出した天才的なことはないため、一つの道を極めている人物をリスペクトしている。自身だけでなく親も漫画が好きだったことから、週に3〜4冊は漫画が増えていく家庭で育ったという。
座右の銘は「人生濃く激しく楽しく」。
太字はメインキャラクター。