| トッド・ラングレン | |
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トッド・ラングレン(2019年) | |
| 基本情報 | |
| 出生名 | トッド・ハリー・ラングレン |
| 生誕 | 1948年6月22日(78歳) |
| 出身地 |
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| ジャンル | |
| 職業 | |
| 担当楽器 | |
| 活動期間 | 1967年 - |
| レーベル | |
| 共同作業者 | |
| 公式サイト | www.tr-i.com |
| 著名使用楽器 | |
| ギブソン・SG | |
トッド・ハリー・ラングレン(Todd Harry Rundgren、1948年6月22日 - )は、アメリカ合衆国のロック・ミュージシャンである。1960年代後半より60年近くに亘って幅広い音楽活動を行い、グループ名義、ソロ名義の他、他のミュージシャンのプロデュースも含め、非常に多くの作品を発表している。
美しく切ないメロディを作り出すメロディメーカーとしてだけでなく、XTCやバッドフィンガー、グランド・ファンク・レイルロード、ジェシ・ウィンチェスターやザ・バンド、他にもホール&オーツなど数々の有名バンド・アーティストのプロデュースを行ったプロデューサーとして、また1970年代という早い段階から、自分ですべての楽器を演奏しヴォーカルをとる自宅録音を行うなど、マルチプレイヤーとしても知られている。
1980年代後半から1990年代前半にかけて、レピッシュなど、日本のアーティストのプロデュースも手がけたこともある。ハワイに在住し、なお精力的に音楽活動を続けている。リンゴ・スター&ヒズ・オールスター・バンドのメンバーとしてワールドツアーも行っている。ニュー・カーズにも参加した。
Apple II時代からのApple Computerユーザであり、アップルのコマーシャル映像やイベントなどに登場したこともある。また、Amigaユーザとしても知られ、 Video ToasterやLightWave 3Dを駆使して自ら「Change Myself」のPVを作り上げた。
ペンシルヴェニア州フィラデルフィア近郊の近郊アッパー・ダービーにて、スウェーデン系移民の血を引く父親とオーストリア系(ドイツ系)移民の血を引く母親の間に生まれる。
17歳の時に、フィラデルフィアを中心とするポール・バターフィールド・ブルースバンドの影響を受けた、ウッディーズ・トラックストップなるバンドを振り出しに活動し、1967年にベーシストのカーソン・ヴァン・オステン、ドラマーのトム・ムーニー、シンガー兼キーボードのロバート・アントニとナッズを結成。「オープン・マイ・アイズ」や「ハロー・イッツ・ミー」といった曲で注目された。
彼が音楽上の影響を受けたミュージシャンは、イギリスのローリング・ストーンズやビートルズ、ザ・フー、ヤードバーズ、ザ・ムーヴ、アメリカのヴェンチャーズやビーチ・ボーイズ、ローラ・ニーロなどだった。ギルバート・オサリバン、R&Bのギャンブル&ハフやデルフォニックス、オージェイズなどにも影響を受けた。
ナッズは『ナッズ』(1968年)、『ナッズ・セカンド』(1969年)、『ナッズ・サード』(1971年)と3枚のアルバムを発表した。ラングレンは『ナッズ・セカンド』でヴァン・オステンと共に脱退し、ナッズは1970年に解散した。
その後、ニューヨークへ渡り、ボブ・ディランやジャニス・ジョプリンのマネージャーとして知られるアルバート・グロスマンのベアズヴィル・スタジオのレコーディング・エンジニアとしてスタジオワークをこなしていくようになる。1972年にはアルバム『サムシング・エニシング』を発表。同アルバムからシングル「アイ・ソー・ザ・ライト」が全米16位まで上昇するヒットとなった。
後にニュー・カーズと共に活動した。
| 1948年 | 6月22日、ペンシルベニア州アッパー・ダービーに生まれる。 |
| 1967年 | 地元のローカル・バンド、ウッディーズ・トラックストップ (Woody's Truckstop)を脱退 |
| ナッズ (Nazz) を結成する。 | |
| 1968年 | デビュー・シングル「オープン・マイ・アイズ」に続き、ファースト・アルバム『ナッズ』リリース |
| 1969年 | セカンドアルバム『ナッズ・セカンド(Nazz Nazz)』リリース。 |
| 1970年 | ナッズ解散。ボブ・ディランのマネージャー、アルバート・グロスマンに見いだされ、ベアズヴィルのエンジニアとして働く。 |
| 3月、ジャニス・ジョプリンのアルバム『パール』のプロデューサーに起用されるが、ジョプリンと衝突して降板。 | |
| 9月、初のソロ・アルバム『ラント』をアンペックス・レコードよりリリース。 | |
| 1971年 | 6月、ソロ第2作『ラント: ザ・バラッド・オブ・トッド・ラングレン』リリース。 |
| 1972年 | 3月、初の2枚組である『サムシング/エニシング? (ハロー・イッツ・ミー)』発売。 |
| 1973年 | 『サムシング/エニシング? (ハロー・イッツ・ミー)』からのシングルカット曲「瞳の中の愛 (I Saw the Light)」がヒットしビルボードチャートで5位となる。ニューヨークに自身のためのスタジオを新築する。 |
| プロデュースを手がけたグランド・ファンクのアルバム『アメリカン・バンド』が全米2位の大ヒット、同名のシングルは全米1位に。 | |
| 1974年 | 2月、5枚目のソロ・アルバム『未来から来たトッド』リリース。 |
| 6人編成のバンド、トッド・ラングレンズ・ユートピアを結成し、この後の数年間、ライブ活動を積極的に行なう。 | |
| 1975年 | トッド・ラングレンズ・ユートピア名義のライブ・アルバム『アナザー・ライヴ』リリース。 |
| 1976年 | バンド名をユートピアに改め、4人編成に縮小、ユートピアを率いて初来日。 |
| 6月、脱退したジョン・シーグラーに代わり、カシム・サルトンがオーディションによりユートピアに加入。 | |
| 1977年 | 2月、アルバム『太陽神』(ユートピア)リリース。イギリスのアルバム・チャートで27位まで上昇。 |
| 1979年 | ユートピア再来日 |
| 1980年 | 自宅に強盗が入る被害を受ける。犯人の1人は「瞳の中の愛」を口ずさんでいたという |
| 1983年 | ベアズヴィル・レコードを離れる。 |
| 1985年 | ユートピアとしての最後のオリジナル・アルバムとなる『POV』リリース。 |
| 1986年 | プロデュースしたXTCのアルバム『スカイラーキング』リリース。XTCのアンディ・パートリッジとの確執が話題になるが、このアルバムのヒットによりXTCを救うことになる。 |
| 1988年 | ソロとして初来日、バックバンドなしのMIDIを駆使した文字通りの「ワンマン・コンサート」を行う。 |
| 1989年 | ソロ・アルバム『ニアリー・ヒューマン』リリース。ワンマン・レコーディングからホーン隊、女性コーラス隊などによる12人編成のビッグ・バンドに方向転換。女性コーラスの中の一人は、後にトッドの妻となるミッチェル・グレー。 |
| 1990年 | 1月、ビッグ・バンドを率いて来日。このときの東京公演がビデオでリリースされる。 |
| 1991年 | ビッグ・バンドによる2枚目のアルバム『セカンド・ウインド』リリース |
| ビッグ・バンド編成で再来日。 | |
| 1992年 | ユートピアを日本公演限定で再結成し来日。5月3日から15日にかけて大阪、東京などで公演を行う。同時期に来日していたチープ・トリックの東京公演に飛び入り。 |
| 5月後半から10月にかけて、リンゴ・スター&ヒズ・オールスター・バンドに参加し、北米・ヨーロッパをツアー。ソロ・パートでは「Bang The Drum All Day」などを披露。他のメンバーはジョー・ウォルシュ、デイヴ・エドモンズ、ニルス・ロフグレン、バートン・カミングス、ティモシー・シュミット、ザック・スターキーなど。 | |
| 1993年 | 再びワンマン・レコーディングの形に戻りアルバム『ノー・ワールド・オーダー』をリリース。「インタラクティヴ」と銘打った、リスナーによる編集などが可能なCD-I盤も出すが、CD-Iという一般には普及していない特殊なハードウェアが必要であったために、さほど話題にはならなかった。 |
| 本人と3人の女性ダンサー("TR-i Girls"(Michelle Gray, Melanie Macbee and Millie Madjidi))という編成で来日。観客参加のインタラクティヴ・ショーを行うが、大阪公演は機材のトラブルで中止となる。 | |
| 1995年 | 6月、バンド編成で来日。大阪、東京で来日公演。メンバーはジェシ・グレス(G)、ラリー・タッグ(B)、プレイリー・プリンス(D)、ジョン・ファレンジーック(Key,G)ら。テンキーをキーボード代わりに使うパフォーマンスを見せたが、大阪公演では上手く作動せず演奏中に叩き壊す。 |
| 1997年 | 新曲の発表をインターネットを通して行なう。 |
| 1999年 | 再びリンゴ・スター&ヒズ・オールスター・バンドに参加。2月から3月にかけて北米をツアー。メンバーはゲイリー・ブルッカー、サイモン・カーク、ジャック・ブルース、ティム・キャペロ。 |
| 2000年 | 5月から8月にかけて、カシム・サルトン(B)、トレイ・サバテリ(D)とPower Trio編成で北米をツアー。 |
| 2001年 | アラン・パーソンズ、ジョン・エントウィッスルらと「A Walk Down Abbey Road」と称するビートルズのトリビュートバンドを結成。6月から7月にかけて北米を回り、11月には来日公演を実現。 |
| 2002年 | 9月、ソロで来日。ブルーノート東京他で公演。サポートはジェシ・グレス。 |
| 2005年 | エリオット・イーストンとグレッグ・ホークスが結成した「ニュー・カーズ」に参加を拒否したリック・オケイセックの代役として参加。カシム・サルトンとプレイリー・プリンスも参加し、本人を含めて5人中3人が"ラングレン人脈"で占められた。 |
| 2006年 | 9月、ソロでカナダ・ツアー。バックはトニー・レヴィン(B)、ジェシ・グレス(G)、ジェリー・マロッタ(D)。 |
| 2008年 | 4月、ソロで来日。バックはカシム・サルトン(B)、ジェシ・グレス(G)、プレイリー・プリンス(D)。 |
| 6月、ハワイのカウアイ島で還暦祝いが盛大に開催される。このイベントは事前にインターネットで告知され、キャンプ形式でファンも参加できるように取り計らわれた。 | |
| 9月、アルバム『アリーナ』をリリース。 |
| 年 | アルバム・タイトル(邦題) | アルバム・タイトル(原題) |
|---|---|---|
| 1970 | ラント | Runt |
| 1971 | ラント:ザ・バラッド・オブ・トッド・ラングレン | Runt. The Ballad of Todd Rundgren |
| 1972 | サムシング/エニシング? (ハロー・イッツ・ミー) | Something/Anything? |
| 1973 | 魔法使いは真実のスター | A Wizard, a True Star |
| 1974 | 未来から来たトッド | Todd |
| 1975 | 未来神 | Initiation |
| 1976 | 誓いの明日 | Faithful |
| 1978 | ミンク・ホロウの世捨て人 | Hermit of Mink Hollow |
| バック・トゥ・ザ・バーズ (未来への回帰・ライヴ) | Back to the Bars | |
| 1981 | ヒーリング〜トッドの音楽療法 | Healing |
| 1982 | トッドのモダン・ポップ黄金狂時代 | The Ever Popular Tortured Artist Effect |
| 1985 | ア・カペラ | A Cappella |
| 1989 | ニアリー・ヒューマン | Nearly Human |
| 1991 | セカンド・ウインド | 2nd Wind |
| 1993 | ノー・ワールド・オーダー | No World Order |
| 1995 | インディヴィデュアリスト | The Individualist |
| 1997 | ウィズ・ア・トゥィスト | With a Twist... |
| 1998 | アップ・アゲインスト・イット | Up Against It |
| 2000 | ワン・ロング・イヤー | One Long Year |
| 2004 | ライアーズ | Liars |
| 2008 | アリーナ | Arena |
| 2011 | [Re]Production | |
| Todd Rundgren's Johnson | ||
| 2013 | ステイト | State |
| Todd Rundgren's Johnson Live | ||
| 2014 | Todd Rundgren At The BBC 1972-1982 | |
| 2015 | グローバル | Global |
| 2017 | White Knight | |
| 2022 | Space Force |
| 年 | アルバム・タイトル(邦題) | アルバム・タイトル(原題) |
|---|---|---|
| 1989 | アンソロジー | Anthology |
| 1998 | フリー・ソウル | Free Soul - The Classic of Todd Rundgren |
| 1999 | ゴー・アヘッド イグノア・ミー | Go ahead.Ignore me - The Best of Todd Rundgren |
| 年 | 原題 |
|---|---|
| 1970 | "We Gotta Get You A Woman" |
| 1972 | 「瞳の中の愛」 - "I Saw the Light" |
| "Hello It's Me" | |
| 1974 | "A Dream Goes On Forever" |
| 1978 | "Can We Still Be Friends" |
| 年 | アーティスト | 原語表記 | アルバム名 |
|---|---|---|---|
| 1970 | ザ・バンド | The Band | Stage Fright |
| 1971 | バッドフィンガー | Badfinger | Straight Up |
| スパークス(ハーフネルソン名義) | Sparks (Halfnelson) | Halfnelson | |
| 1973 | ニューヨーク・ドールズ | New York Dolls | New York Dolls |
| グランド・ファンク・レイルロード | Grand Funk Railroad | We're an American Band | |
| 1974 | Shinin' On | ||
| ホール & オーツ | Hall & Oates | War Babies | |
| 1976 | スティーヴ・ヒレッジ | Steve Hillage | L |
| 1977 | ミート・ローフ | Meat Loaf | Bat out of Hell |
| 1978 | チューブス | The Tubes | Remote Control |
| 1979 | トム・ロビンソン・バンド | Tom Robinson Band | TRB Two |
| パティ・スミス・グループ | Patti Smith Group | Wave | |
| 1981 | ニュー・イングランド | New England | Walking Wild |
| 1982 | サイケデリック・ファーズ | The Psychedelic Furs | Forever Now |
| 1983 | チープ・トリック | Cheap Trick | Next Position Please |
| 1985 | チューブス | The Tubes | Love Bomb |
| 1986 | XTC | XTC | Skylarking |
| 1989 | レピッシュ | レピッシュ | KARAKURI HOUSE |
| 1990 | 高野寛 | 高野寛 | Cue |
| ジル・ソベル | Jill Sobule | Things Here Are Different | |
| 1991 | 高野寛 | 高野寛 | Awakening |
| 2000 | バッド・レリジョン | Bad Religion | The New America |
| 2009 | ニューヨーク・ドールズ | New York Dolls | Cause I Sez So |
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