| VOU | |
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| VOU | |
| ジャンル | 文芸、前衛詩 |
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| 言語 | 日本語 |
| 刊行期間 | 1935年7月 - 1940年10月、1946年12月 - 1978年6月 |
| 特記事項 | 1940年12月から1942年9月までは『新技術』、1948年1月から12月までは『CENDRE』の誌名で刊行。 |
VOU(ヴァウ)は、1935年7月に北園克衛らが結成したVOUクラブの機関誌として創刊された日本の前衛詩誌である。1940年10月までに30号を刊行したのち、『新技術』(1940年12月 - 1942年9月、全7冊)、『CENDRE』(サンドル、1948年1月 - 12月、全6冊)を経て、1949年10月に『VOU』として再刊した。1978年6月、北園の死去により通算160号で廃刊した。抽象主義の理論と方法的実験の場として、詩、音楽、建築、工芸などにまたがる総合的な芸術運動を志向し、前衛詩運動を代表する雑誌の一つとされる。
VOUクラブは、詩人・グラフィックデザイナーであった北園克衛が主宰した、詩と芸術の同人グループであった。 その機関誌『VOU』には、会員による詩、写真のほか、美術、音楽、映画に関する文章が掲載され、複数の芸術分野が交差する場となった。
『VOU』は1935年7月に創刊され、1940年10月までに30号を刊行した。 その後、国粋主義的な時代思潮の影響を受けて、1940年12月から1942年9月まで『新技術』と改題して刊行された。 戦後は1946年12月に復刊し、1948年には『CENDRE』と改題したのち、1949年10月に再び『VOU』の誌名に戻った。 以後も刊行が続き、1978年6月、北園の死去により通算160号で廃刊した。
VOUは、抽象主義の理論と方法的実験の場とされ、詩、音楽、建築、工芸などを横断する総合芸術運動を志向した。 また、前衛詩運動の代表誌として国際的評価を受けた。 写真雑誌史の文脈では、1950年代後半以降、会員の写真作品の掲載が増え、詩と写真とが並行して掲載される雑誌として位置づけられている。
VOUは詩誌であると同時に、会員の写真や写真論も受け入れた。 山本悍右は1939年にVOUクラブの同人となり、戦中の誌名変更期を挟んで、戦後まで同誌に詩や写真作品を発表した。 1940年6月の29号には詩「燈臺のまはり」を寄稿し、同年10月の30号には写真《風景》と「寫真に關する簡潔な雑言」を掲載した。 また、VOUの形象展は山本にとって作品発表の場の一つでもあった。
VOUには、北園克衛を中心に、黒田三郎、木原孝一、高野喜久雄、白石かずこらが参加した。 また、山本悍右も同誌の重要な寄稿者の一人であった。