Osborne 1

Osborne 1
開発元 アダム・オズボーン
種別 ポータブルコンピュータ
発売日 1981年
標準価格 1795USドル
販売終了日 1983年
OS CP/M
CPU Zilog Z80 @ 4.0 MHz
メモリ 64 kB
Osborne 1
ななめ後ろから見たOsborne 1

Osborne 1(オズボーンワン)は、オズボーン・コンピュータが1981年4月3日にリリースし商業的に成功した最初の持ち運び可能な「オールインワン」マイクロコンピュータである。重量は10.7kgで、価格は1795USドル。

持ち運び可能なデザインであり、ABS樹脂製のケースに持ち手がついている。ミシンほどの大きさと重さ。

「旅客機の座席の下に納まる唯一のコンピュータ」と宣伝された。

オペレーティングシステムとしては当時人気のあった CP/M 2.2 が動作。OS以外のソフトウェアも多数バンドルして販売された。それらを別々に買うと総額がマシン本体と同程度になるので、バンドル販売は本機の魅力のひとつとなり販売の推進力となった。本機以降、他のCP/Mコンピュータ業者もこの販売手法を模倣するようになった。

開発史

開発者のアダム・オズボーンとOsborne 1

本機の設計は、1976年にパロアルト研究所でアラン・ケイが試作したゼロックスNoteTakerに強く影響されている。Osborne 1 はリー・フェルゼンスタインが設計し、アダム・オズボーンが開発した。1981年4月に発表。アダム・オズボーンはコンピュータ関係の書籍を書いており、コンピュータの価格破壊を起こしたいと考えていた。

プロトタイプ

リー・フェルゼンスタインの電子メールによれば、製品化までに10台のプロトタイプが試作されたという。

これは "metal case" と呼んでいた最初の10台のプロトタイプの1つだ。シリアル番号は付与されていないと思う。カリフォルニア州ヘイワードの Galgon Industries がケースを作ったが、量産の際の単価が法外で、プラスチックケースにすぐ切り替えた。回路基板は1981年1月に完成していて、そのすぐ後にプロトタイプを組み立てた。最初の広告 ("the guy on the left doesn't stand a chance") の写真に使われている。30ポンドの重量のプロトタイプを持っている手の血管が浮き上がっている奴だ。1981年のウェスト・コースト・コンピュータ・フェアや National Computer Conference にもこういうプロトタイプを持っていった。

仕様

ハードウェア


メインメモリは4116型の 16kb DRAM で64KBを構成し、ビデオRAMとしても使用する。パリティはなくマザーボード上に拡張スペースもない。ブートローダとBIOSの大部分は4KBのEPROMに格納されていて、バンク切り換えされる。もう1つのEPROMがキャラクタジェネレータで、文字やグラフィックシンボルのパターンが格納されている。CPUが直接キャラクタジェネレータにアクセスすることはできない。ASCIIで使用しない8番目のビットをアンダーライン付きの文字を表すのに使っている。シリアル通信はメモリマップされた MC6850 を使用し、マザーボード上のジャンパーの設定で300/1200ボーか600/2400ボーを選択できる。

フロッピーディスクドライブは富士通の8877ディスクコントローラ(ウェスタン・デジタルの1793のセカンドソース)で制御している。パラレルポートはメモリマップされた MC6821 PIA (Peripheral Interface Adapter) を使用しており、完全な双方向通信が可能。マニュアルには IEEE 488 準拠だとあるが、その用途で使われることはほとんどない。このパラレルポートはマザーボードの端にエッチングされたカードエッジコネクタがそのまま穴からのぞいている形状で、使うには特別にコネクタを作る必要があった。

FDDはシーメンスまたはMPI製のフルハイト5.25インチドライブだが、駆動回路基板はオズボーンが設計したものに置き換えられていて、マザーボードからの電力と信号を1つのリボンケーブルで供給できるようになっていた。。電力供給は通常のドライブが接地用に予約している線を使っている。

画面表示にはメインメモリの一部とTTL論理回路を使い、内蔵の5インチモノクロモニターに表示する。カードエッジコネクタ経由で同じ信号を外部モニターにも供給できる。表示フォーマットはどちらも同じである。

主要LSI以外は全てTTLの汎用ロジックICを使用している。

本機はバッテリーを内蔵していない。なお、市場には1時間の駆動が可能なバッテリーパックが出回った。初期モデルは 120V または 240V のみに対応していた。後期モデル(1982年5月以降出荷)は、120V または 230V、50Hz または 60Hz をスイッチで切り替え可能となっている。

オペレーティングシステム

当時人気のあったオペレーティングシステム CP/M 2.2 が動作した。マニュアルでは使用可能な ROM BIOS について詳しく解説している。

ソフトウェア

アプリケーションソフトウェアがバンドルされていた。ワードプロセッサのWordStar、表計算ソフトのSuperCalc、言語処理系の CBASIC(英語版) と MBASIC という当時人気のあったアプリケーションである。これらソフトウェアだけで通常販売価格は1500ドルにもなる。正確な同梱ソフトウェアは販売された時期によって異なる。例えば dBASE II は初期には同梱されなかった。

ソフト名 バージョン 発売元 種類 登場時期 部品番号 ディスク
枚数
CBASIC(英語版)2 デジタルリサーチ コンパイラ 1979年
MBASIC マイクロソフト インタプリタ 301002-02D 1
コロッサル・ケーブ ゲーム
Deadline Infocom ゲーム 2
dBase II アシュトンテイト データベース
dBase II Tutor アシュトンテイト データベースの学習 6
Nominal Ledger 2.7 PeachTree Software ビジネスソフト 1983年 2X09200-04 2
Purchase Ledger 2.7 PeachTree Software ビジネスソフト 1983年 2X09200-04 2
Sales Ledger 2.7 PeachTree Software ビジネスソフト 1983年 2X09200-04 2
SuperCalc Sorcim(英語版) 表計算 1981年 301002-03 1
WordStar 2.26 マイクロプロ(英語版) ワードプロセッサ 1
ゲームソフト

Osborne 1 はビットマップ表示のグラフィックスをサポートしていないため、ゲームは基本的にテキストアドベンチャーなどの文字ベースだった。例えば、探偵物のアドベンチャーゲーム、Deadline は大型の封筒のパッケージに5.25インチフロッピー2枚、説明書などで構成されていた。コロッサル・ケーブ・アドベンチャーは、コンパイル済みの版とMBASICインタプリタ版が入手可能だった。文字ベースのグラフィックを駆使したシェアウェアのゲームもいくつか登場した。

周辺機器

サードパーティ製の周辺機器が登場した。

アップグレード

ケースをデザインしなおした後期の Osborne 1

Osborne 1 のアップグレードを請け負う業者もいた。倍密度FDDへの換装、外付けハードディスクを接続可能にする改造、FDDベイにバッテリーバックアップ付きのRAMディスクを装着するなどの改造が行われた。

オズボーン社も表示を54桁から80桁にスイッチで切り換えるアップグレードを行った。

販売

広告手法、販売推進手法

「旅客機の座席の下に納まる唯一のコンピュータ」と宣伝された。

OS以外のソフトウェアも多数バンドルして販売された。別に買えば総額がマシン本体と同程度になるソフトがバンドルされたので、バンドル販売が本機の魅力のひとつとなり、販売の推進力となった。

オズボーン社は1982年から1985年まで、ユーザー向けの雑誌 The Portable Companion を発行していた。

当初の販売好調

不恰好なデザイン(第二次世界大戦中の携帯ラジオとDC-3の計器パネルの中間)と重さ(フェルゼンスタインは2台の Osborne 1 を見本市会場までの4ブロック徒歩で運ぼうとして「両腕が肩から抜けそうになった」と述懐している)にもかかわらず、発表後の8カ月間で11,000台を売り上げた。ピーク時の売り上げは1カ月で1万台に達している。1981年9月、Osborne Computer Company は1カ月の売り上げが100万ドルを突破した。

その後の苦境

Osborne Executive

だが同社が Osborne Executive(英語版) などの改良した後継機を早まって発表したため、売り上げが急速に低下した。このような現象を後にオズボーン効果と呼ぶようになった。

競合機の登場

Osborne 1 は他のコンピュータメーカーに真似をされ、より低価格のコピー商品が出回った。結局、ケイプロ社のKaypro II というよく似たマシンが Osborne 1の人気を奪うことになる。Kaypro II はより実用的な24行×80桁表示可能な9インチディスプレイと倍密度フロッピーを装備していた。オズボーン・コンピュータはケイプロの挑戦に対して有効な対抗策を打ち出せないまま、CP/Mベースの8ビットコンピュータの時代は終焉を迎えた。IBMが最初のパーソナル・コンピュータをリリースしたのは、1981年8月であり、その互換機が活況を呈するまでそれほど時間はかからなかった。後に、コンパックが、Osborne 1 によく似た形状のPC/AT互換機のポータブルコンピュータ Compaq Portable をリリースしている(ディスプレイは9インチ、価格は3590ドル)。

倒産

オズボーン・コンピュータは1982年に後継機 Osborne Executive を発表。1983年にはさらに進んだ Osborne Vixen を発表。しかし、競合他社を撃退することはできず、1983年9月に倒産した。倒産後に後継機(Osborne Vixen)が完成し、Osborne-4 として1985年に発売されたが、売れ行きは芳しくなかった。

映画での登場

映画『フィラデルフィア・エクスペリメント』(1984) には Osborne 1 が登場するシーンがある。同じシーンで、その手前にコモドール64も見える。

その他

2000年代視点での評価?

このマシンの一番の問題点は、5インチの小さなディスプレイと容量が小さすぎて実際のビジネス用途では使い物にならないフロッピーディスク(片面単密度)にある[要出典]。

HC-20のようなポータブルコンピュータに比べると重く、今では luggable(移動可能、可搬)という方がふさわしい[要出典]

脚注・出典

  1. ↑ Horn, Leslie (2011年4月4日). “First Portable Computer Debuted 30 Years Ago”. PC Magazine. 2011年4月20日閲覧.
  2. 1 2 3 4 Fallows, James (1982年7月). “Living With a Computer”. Atlantic Magazine. 2010年5月21日閲覧。
  3. 1 2 3 4 “Osborne 1”. OldComputers.net. 2010年5月21日閲覧。
  4. ↑ “Xerox NoteTaker”. Computer History. 2010年5月21日閲覧。
  5. ↑ Lee Felsenstein (2009-02-12) (email to PBA Galleries ed.).
  6. 1 2 3 4 5 6 7 8 Hogan, Thom (1982). Osborne 1 Technical Manual. Mike Iannamico (2F00153-01 ed.). Osborne Computer Corporation
  7. ↑ Draw Cards Using MBASIC. The Portable Companion. (August/September 1982). ISSN 0732-7501.
  8. ↑ “The Portable Companion”. 2009年8月1日閲覧。
  9. ↑ “Computers: Carry Along, Punch In, Read Out”. Time. Time Inc. 1982年6月21日. 2011年4月3日閲覧.
  10. ↑ McCracken, Harry (2011年4月1日). “Osborne!”. Technologizer. 2011年4月3日閲覧。
  11. 1 2 Grzanka, Leonard G. (January 1984). Requiem for a Pioneer. Portable Computer.
  12. ↑ Rothman, David H. (1985). The Silicon Jungle. New York: Ballantine Books. p. 33. ISBN 0-345-32063-8

参考文献

外部リンク