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丸井本社 | |
| 種類 | 株式会社 |
|---|---|
| 略称 | マルイ、OIOI |
| 本社所在地 |
〒164-8701 東京都中野区中野四丁目3番2号 北緯35度42分34.6秒 東経139度39分52.1秒 / 北緯35.709611度 東経139.664472度座標: 北緯35度42分34.6秒 東経139度39分52.1秒 / 北緯35.709611度 東経139.664472度 |
| 設立 | 2007年(平成19年)10月1日 |
| 業種 | 小売業 |
| 法人番号 | 1011201012121 |
| 会社法人等番号 | 011201012121 |
| 事業内容 | 小売・店舗事業、通信販売事業、専門店事業 |
| 代表者 | 代表取締役社長 青野真博 |
| 資本金 | 1億円 |
| 売上高 |
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| 営業利益 |
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| 経常利益 |
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| 純利益 |
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| 総資産 |
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| 従業員数 | 974人(2025年3月31日現在) |
| 決算期 | 毎年3月31日 |
| 主要株主 | 丸井グループ 100% |
| 関係する人物 | 青井忠治(創業者) |
| 外部リンク |
www |
株式会社丸井(まるい、英: MARUI CO., LTD.)は、東京都中野区に本社を置き、首都圏を中心にファッションビル業態の商業施設を展開する日本の企業である。店舗ブランドの「マルイ」は「OIOI」または「0101」とも表記される。丸井グループの完全子会社。
日本チェーンストア協会会員(通常会員)。一方で日本百貨店協会には加盟しておらず、百貨店運営企業ではない。また、北海道にある三越伊勢丹ホールディングス系の百貨店である丸井今井とは一切関係ない。
2007年10月1日、小売事業、クレジットカード事業、小売関連サービス事業からなる持株会社制へ移行し、(旧)株式会社丸井が「株式会社丸井グループ」に商号変更、同時に新たな小売事業会社として(新)「株式会社丸井」を設立した。

新宿や渋谷といった東京都心部のターミナル駅至近を中心に店舗を展開する。店舗形態は、マルイ、マルイシティ、マルイファミリー、モディなどがある(後述)。
本社は創業地である東京都中野区中野に所在する。中野駅北口に本社ビルがあり、南口にグループ各社、労働組合のマルイグループユニオン、マルイグループ福祉会、丸井健保組合などがある。
社名・店名の由来は、1931年に富山県出身の創業者・青井忠治が月賦商の「丸二商会」から暖簾分けして新しい店を構え、店名を「丸井」としたものだという。当時は「丸」に自分の名前や姓を加えると繁盛するというジンクスがあった。
家具の割賦販売をルーツに持ち、戦後は月賦百貨店として「500円で5,000円のお買い物!」の宣伝文句の下に家具や家電といった耐久消費財の割賦販売により事業を拡大。日本で初めて「クレジット」という名称を使用した「クレジット・カード」を1960年1月に発行した(現在のエポスカード)。1981年2月には「丸井のキャッシング」という名称を使用した「消費者金融事業」も開始した。「赤いカードの丸井」「丸井はみんな駅のそば」といったキャッチコピーのテレビCMを盛んに流し、駅前一等地に次々と出店することでブランド認知度を高めた。
1972年頃より若年層をターゲットにしたアパレル・ファッション中心の小売業態に転換し、ファッションビル形態(ショッピングセンターの一種)の店舗を展開。1980年代のDCブランドブームを牽引した。かつては競合関係にあるルミネやパルコと類似したファッション中心の売場構成となっていた。小売事業ではファッションとインテリアを軸として、家具・雑貨・メガネ・宝石など、多くの商品を自前主義で展開してきた。小売事業には、食品やレストラン、通信販売、Eコマース事業も含まれる。若者をターゲットにした事業展開を行い、首都圏では若年層の大きなシェアを獲得した。近年ではアパレルに代わってアニメやゲームなどのサブカルチャー向けの店舗が増加中であり、アパレル中心の他のファッションビルとは異なるテナント構成になっている店舗も多い。
かつてファッションのイメージが強かった丸井であるが、経営上は同等あるいはそれ以上にエポスカードを中核とした金融業(クレジットカード事業など)を重視している。元々月賦百貨店のため割賦販売のノウハウを蓄積し、小売と金融を一体とした事業を長く行っている。店舗においては自社クレジットカードによる分割払いを勧め、単に衣服を売る利益でなく、分割手数料を得ることができ、さらにカード会員によるキャッシングなどの融資事業からも収益を上げている。これにより流行や気候に左右されるアパレル販売だけでなく、カード・金融事業から安定した利益を稼ぎ出すことに成功している。持株会社化に伴いグループのクレジットカード事業は「株式会社エポスカード」として分社化され、現在の株式会社丸井とは別法人となっている。
百貨店に似た店舗形態ではあるが、日本百貨店協会会員でないことや、自らも明確に百貨店という表現を用いていないことなどから、百貨店とはみなされない場合が多い。
丸井の会社概要では、事業内容を「小売・店舗事業、通信販売事業、専門店事業」としており、百貨店事業とする他の百貨店とは異なる。また、Yahoo! JAPANの「Yahoo!カテゴリ」では、小売業のデパートではなく不動産業のファッションビル(ショッピングセンター)としてカテゴリ分けされていた。
一方で、日経流通新聞MJは「日本の百貨店調査」の中で、丸井について注目企業として記事を組んだこともある。また、「一つの事業者が複数の分野にわたる多種類の商品を一つの店舗で扱う大規模な小売店舗で、セルフサービス方式の売り場が50%以下のもの」に適合し経済産業省の商業統計調査における百貨店の定義に当てはまる(パルコなどの他のファッションビルも当てはまる)。
丸井グループの沿革を基に作成している。店舗名に関しては特筆がない限り「丸井○○店」としていた。





店舗展開としては長らく関東圏に限ってきたが、近年では関東圏を脱し全国展開を視野に入れている。
丸井には、駅前出店(レールサイド戦略)を基本とした多店舗化戦略を取っているイメージがあるが、その一方で新規大型店の開店に伴う小規模店舗の統合など、積極的なスクラップ・アンド・ビルド戦略を展開している。ただし、新店舗の開設を伴わない単純な不採算店舗の閉鎖も数多く行なわれている。また、業態変更によって実質「丸井」としての機能を廃した店舗(吉祥寺店キャンバス館→無印良品館→ドン・キホーテ、マルイビィ町田→町田モディ)なども存在する。
またアメリカの百貨店チェーンの様にプライベートブランド開発、SPA化、自社編集売り場などに力を入れ、旧来型の日本の百貨店からの脱却を図っているほか、また従来の画一的な展開から、「商圏に適したきめ細かい展開」に切り替えている。
「商圏に適したきめ細かい展開」は店舗デザインにも及ぶ。現在多くの店舗の外観は「OIOI」マークを使用している。これは古くからある店舗に現在も残る、丸の右下が切れた形の「CICI」マークのブラッシュアップと言える(「CICI」マークの店舗においても、店内掲示物などには「OIOI」マークを使用するケースも目立ってきている)。また、関東・静岡地区で1990年代に開業・改築した店舗の一部には「MARUI」マークが用いられているところもある。これは当時、エリアごとの店舗展開を模索し始めており、その際のイメージのひとつが形になったものである。その後、「MARUI」マークを採用した店舗もリニューアルなどを機に「OIOI」マークへ変更するケースもあり、ブランドの再統一へ方向転換した模様である。京阪神の3店舗では「OIOI」マークに「(地名)MARUI」が併記されている。
既存店舗とは別の道を模索する動きも見られ、その一環として2007年5月に宅配大手のヤマトホールディングスと資本・業務提携を結び、在庫の調達管理から新たな通販ビジネス開拓への方針展開を目指す方針であると発表された。
一方、2007年の貸金業法改正や、2009年のリーマンショックの影響によるグループの業績悪化を受けて、小売事業の方針を順次転換した。具体的には、顧客ターゲットを若年層から全世代に拡大し、ファッション等の商品に代表されるモノ消費中心の売場展開を減少させ、飲食等の体験に代表されるコト消費をターゲットにした売場展開の割合を増加させること等である。2014年頃からは、消化仕入方式による百貨店型の店舗運営を順次減少させ、テナントからの安定的な家賃収入による不動産型のSC・定借化へ切り替えを進めており、2019年3月までに対象区画の100%を不動産型とする予定である。同じくSC・定借化運営であるモディの多店化も併せて、売上より利益重視へ収益構造の転換を進めている。
長らくファッションを中心とした消化仕入方式による百貨店型の店舗運営をとり、収益についてもテナントの売上高に左右される形態であった。しかし、モノ消費からコト消費へのニーズの変化や、安定的な収益確保をにらみ、SC・定借化による不動産型の店舗運営へ転換を進めている。テナントの内容についても顧客を交えた会議の実施等に基づき、低層階に食品・飲食のテナントを配置するなど、ファッション中心の店舗構成からライフスタイル中心の店舗構成へ移行している。
かつては丸井としての電化製品売場が専門館以外の店舗に存在したが2018年現在は直営による電化製品売場は存在しない。
少なくとも、1970年代から1980年代ごろにかけて、東京都心部の一部や地方の狭小店舗、また専門館を除いた全店舗最上階には、森永フードサービス(現在:エムエフエス株式会社、当時は森永製菓子会社)運営による「森永レストラン」が併設されていた。その後昭和60年代に入り、順次森永レストランは閉鎖され、2014年現在では森永レストランが併設されている丸井店舗は存在しない。
モディ店舗については「モディ」を、既存の商業施設にテナント出店している店舗については後述「自社ブランド」の項を、それぞれ参照。
現在の施設名称や所在地、開業日、店番等のみをまとめている。詳細に関しては名称のリンク先や下記参照。下線が引いてある店舗に関しては単独記事や見出しあり。
| No. | 名称 | 所在地 | 開業日 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 1 | 中野マルイ | 東京都中野区中野3-34-28 | 2011年1月28日 | |
| 3 | 新宿マルイ本館 | 東京都新宿区新宿3-30-16 | 2009年4月24日 | |
| 5 | 新宿マルイアネックス | 東京都新宿区新宿3-1-26 | 2007年2月9日 | 旧・マルイシティ新宿-1 |
| 16 | 吉祥寺マルイ | 東京都武蔵野市吉祥寺南町1-1-19 | 1978年9月21日 | 旧・丸井ニュー吉祥寺店 |
| 52 | 町田マルイ | 東京都町田市原町田6-1-6 | 1980年9月20日 | 旧・丸井町田店 |
| 53 | 大宮マルイ | 埼玉県さいたま市大宮区桜木町23 | 1982年9月28日 | 旧・丸井大宮店 |
| 54 | 錦糸町マルイ | 東京都墨田区江東橋3-9-10 | 1983年9月2日 | 旧・丸井錦糸町店 |
| 58 | 上野マルイ | 東京都台東区上野6-15-1 | 1985年8月24日 | 旧・丸井上野店 |
| 62 | 国分寺マルイ | 東京都国分寺市南町3-20-3 | 1989年3月1日 | 旧・丸井国分寺店 |
| 66 | 草加マルイ | 埼玉県草加市高砂291 | 1992年2月21日 | 旧・丸井草加店 |
| 74 | 新宿マルイメン | 東京都新宿区新宿5-16-4 | 旧・丸井新宿店インテリア館 | |
| 78 | マルイファミリー溝口 | 神奈川県川崎市高津区溝口1-4-1 | 1997年9月12日 | |
| 79 | マルイファミリー志木 | 埼玉県志木市本町5261 | 2000年2月25日 | |
| 82 | 海老名マルイ | 神奈川県海老名市中央1-6-1 | 2002年4月19日 | 旧・マルイファミリー海老名 |
| 83 | 神戸マルイ | 神戸市中央区三宮町1-7-2 | 2003年10月3日 | |
| 84 | 北千住マルイ | 東京都足立区千住3-92 | 2004年2月27日 | |
| 85 | なんばマルイ | 大阪市中央区難波三丁目8-9 | 2006年9月22日 | |
| 86 | 有楽町マルイ | 東京都千代田区有楽町2-7-1 | 2007年10月12日 | |
| 90 | 博多マルイ | 福岡県福岡市博多区博多駅中央街9-1 | 2016年4月21日 |
新宿マルイは2018年現在、以下の形態で店舗展開を行っている。いずれも正式名称には「新宿マルイ」が付されており、2009年に「新宿21.1世紀」のコンセプトを掲げた大幅な店舗再編によって、現在の形態となっている。
丸井の本店は中野にあったが、2007年に一時閉店。その後、2011年1月に再開店して本社も中野にあるが、新宿3丁目(伊勢丹前)の新宿通り沿いに2009年に完成した「新宿マルイ本館」店舗を売場面積から勘案して、旗艦店と見做すことが出来ると思われる。新宿には丸井が入居するビルが6棟存在し、積極的にスクラップ・アンド・ビルドを行うため、これまでたびたび店舗(出店形態)の移動があった。
2024年度のデータのため、2026年4月現在は閉館済みの柏マルイ、マルイシティ横浜も含む。
| 店舗名 | 取扱高(万円) | 売場面積(㎡) | 備考 |
|---|---|---|---|
| 北千住マルイ | 38,918 | 35,300 | 同社としては最大の売場面積・売上 |
| 新宿マルイ | 28,463 | 30,590 | 本館・アネックス・メンの3館合算 |
| マルイファミリー溝口 | 22,955 | 32,260 | |
| 上野マルイ | 14,769 | 16,390 | |
| 有楽町マルイ | 16,813 | 18,500 | |
| 博多マルイ | 10,238 | 15,000 | |
| 錦糸町マルイ | 13,855 | 22,990 | |
| 町田店 | 13,819 | 21,270 | マルイ・モディの2館合算 |
| なんばマルイ | 11,006 | 17,000 | |
| マルイシティ横浜 | 12,444 | 16,510 | 2026年2月28日閉館 |
| マルイファミリー志木 | 12,197 | 18,900 | |
| 渋谷モディ | 10,177 | 9,840 | モディのみの値(マルイ一時休館中) |
| 国分寺マルイ | 10,132 | 14,300 | |
| 戸塚モディ | 9,248 | 16,580 | |
| 大宮マルイ | 7,885 | 13,970 | |
| 海老名マルイ | 7,375 | 19,500 | |
| 中野マルイ | 7,438 | 4,950 | |
| 吉祥寺マルイ | 6,306 | 11,950 | |
| 草加マルイ | 4,817 | 16,530 | |
| 神戸マルイ | 4,523 | 6,940 | |
| 柏モディ | 3,813 | 10,590 | 2025年7月27日に柏マルイが閉館 |
| 静岡モディ | 2,606 | 5,540 |
沿革などに関しては上記の年表も参照。特筆がない限り店舗名称は「丸井○○店」となる。
主なリンク先がある店舗に関しては、丸井として最後に営業していた店舗名称や所在地、開業日、閉店日、店番等のみまとめている。
詳細は名称のリンク先や下記参照。下線が引いてある店舗に関しては単独記事又は見出しあり。
| No. | 名称 | 所在地 | 開業日 | 閉店日 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|
| 13 | 渋谷マルイ | 東京都渋谷区神南1-22-6 | 2022年8月28日 | 老朽化に伴い木造建築の施設に建替中 | |
| マルイミニ立川 | 東京都立川市曙町2-7-17 | 1970年2月20日 | 2007年8月12日 | 旧・丸井立川店、後にモディとなるも閉店済み | |
| 48 | 池袋マルイ | 東京都豊島区西池袋3-28-13 | 1977年2月 | 2021年8月29日 | 旧・丸井ニュー池袋西口店。跡地には「IT tower TOKYO」が2026年3月14日にオープン |
| 60 | 戸塚店 | 神奈川県横浜市戸塚区戸塚町10 | 1986年11月1日 | 2006年9月 | 現在もモディ・食遊館として営業中 |
| 61 | 川崎店 | 神奈川県川崎市川崎区日進町1-11 | 1988年3月11日 | 2018年11月14日 | |
| 77 | マルイシティ横浜 | 神奈川県横浜市西区高島2-19-12 | 1996年9月20日 | 2026年2月28日 | 旧・丸井横浜東口店 |
| 88 | 京都マルイ | 京都府京都市下京区四条通河原町東入真町68番地 | 2011年4月27日 | 2020年5月12日 | |
| 721 | マルイシティ渋谷 | 東京都渋谷区神南1-21-3 | 1976年6月23日 | 2015年4月19日 | 現在も渋谷モディとして営業中 |
| 722 | 柏店マルイ館 | 千葉県柏市柏1-2-26 | 1996年2月 | 現在も柏モディとして営業中 | |
| 723 | マルイビィ町田 | 町田市原町田6-2-6 | 2001年2月21日 | 現在も町田モディとして営業中 | |
| 724 | 静岡マルイB館 | 静岡県静岡市葵区御幸町6-10 | 1995年2月 | 現在も静岡モディとして営業中 | |
| 726 | 川越店 | 埼玉県川越市脇田町4−2 | 1970年2月28日 | モディに業態変更したが閉店済み |
戦前、東京都内に数店舗クレジット専用センター(現在の“ゼロファースト”店舗とは別組織)として八重洲、新橋、赤羽など数店舗があった。
新宿エリアの店舗では2009年は「新宿21.1世紀。」のコンセプトを掲げ、全店舗改装・リニューアルを行い、新たに「新宿マルイ」の総称が入れられた。その他の既存店舗も順次改装を行っており、インザルーム新宿本店は4月24日にリニューアルが完了し、またマルイシティ1・マルイメンが初夏から秋にかけて、それぞれ「新宿マルイアネックス」「新宿マルイメン」にリニューアルされた。ただし店舗名称はマルイ本館オープンと同日にいち早く変更された。なお「新宿マルイ」に刷新後も店舗再編が行われている。
東京都新宿区新宿3-30-16
東京都新宿区新宿3-5-6
東京都新宿区新宿3-1-20

東京都新宿区新宿3-1-13/京王新宿追分ビル
東京都新宿区新宿3-18-1
東京都新宿区新宿5-16-4
東京都新宿区新宿5-16-8
東京都豊島区西池袋3-28-13
東京都豊島区西池袋1-16-3
旧丸井渋谷店インテリア館に関しては渋谷モディを参照。
東京都渋谷区神南1-12-13
2026年現在はニトリの旗艦店である「ニトリ渋谷公園通り店」となっている。

東京都武蔵野市吉祥寺南町1-9-1
| 店舗名 | 所在地 | 開店日 | 閉店日 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 西荻窪店 | 杉並区 | 1948年4月 | 1968年12月 | |
| 新宿駅前店 | 新宿区 | 1948年9月 | 1962年9月 | 新宿進出1号店、新宿店(後のマルイカレン)開店に伴い閉店 |
| 池袋駅前店 | 豊島区 | 1952年1月 | ||
| 池袋店 | 豊島区 | 1952年7月 | ||
| 立川南口店 | 立川市 | 1952年7月 | 1970年12月 | |
| 高円寺店 | 杉並区 | 1956年11月 | 1970年12月 | 主に家具を扱っていたが、中野本店に統合される形で閉店 |
| 西小山店 | 品川区 | 1957年3月 | 1968年7月 | |
| 新宿西口店 | 新宿区 | 1958年4月 | 1964年7月 | 新宿進出3号店、新宿店(後のマルイカレン)への統合閉店 |
| 三鷹店 | 三鷹市 | 1960年3月 | 1970年12月 | |
| 新井薬師前駅前店 | 中野区新井5-26-6 | 1960年4月 | 1966年7月 | 跡地は現在パチンコ店 |
| (旧)吉祥寺店 | 1960年10月 | |||
| 豊田店 | 日野市 | 1961年10月 | 1970年12月 | |
| 吉祥寺北口店 | 武蔵野市吉祥寺北町1-1-1 | 1963年2月 | 1966年1月 |
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| 荏原店 | 品川区 | 1963年6月 | 1969年12月 | |
| 玉電大橋店 | 目黒区大橋2-22 | 1963年10月 | 1969年7月 |
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| 蒲田店 | 大田区西蒲田7-3-3 | 1968年9月21日 | 1989年 |
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| 池袋東口店 | 豊島区南池袋1-16-18 | 1970年2月28日 | 1977年1月31日 | |
| 八王子店 | 八王子市旭町2-5 | 1971年2月3日 | 2004年1月12日 |
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| インザルーム池袋 | 豊島区西池袋3-29-1 | 1994年 | 2007年8月19日 | インザルーム新宿本店に統合される形で閉店 |
| 新宿マルイカレン別館 | 新宿区新宿3-17-19 | 2012年3月25日 | 営業当時はSTUSSYを取り扱っており、2009年11月にリニューアル |

埼玉県熊谷市筑波2-102

柏マルイに関してはファミリかしわ、柏店マルイ館に関しては柏モディを参照。
| 店舗名 | 所在地 | 開店日 | 閉店日 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 千葉店 | 千葉県千葉市中央区本千葉町2-9 | 1964年9月23日 | 1987年12月 |
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| 船橋店 | 千葉県船橋市本町1-6-3 | 1974年10月25日 | 1985年7月14日 |
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| 津田沼店 | 千葉県習志野市津田沼1-3-1 | 1978年2月23日 | 2007年2月12日 |
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| 店舗名 | 所在地 | 開店日 | 閉店日 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 土浦店 | 茨城県土浦市大和町4-1 | 1967年3月3日 |
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| 前橋店 | 群馬県前橋市千代田町2-11-8 | 1968年4月20日 | 1986年7月 |
|
| 郡山店 | 福島県郡山市駅前1-6-10 | 左記リンク先参照 |

静岡県下の店舗は全て昭和40年代に開店。丸井の店舗の中でも古参であり、約20年近く浜松店が最西の時期があった。1990年代に入り一気に店舗の淘汰が行われたが、そのうち浜松店および清水店の閉鎖は静岡店に経営資源を集中(前述のスクラップ・アンド・ビルド戦略の一環)するためであったとも言われている。
丸井静岡店B館に関しては静岡モディを参照。


静岡県静岡市葵区伝馬町5-4
2013年、日本郵便がJR九州と手を組み博多郵便局と近隣地域を一体で再開発することを決定したが、その再開発ビルのひとつである「KITTE博多」に丸井が核テナントとして入ることとなり、九州への進出を果たすこととなった。この決定以降、福岡県内の民放テレビ5社でもテレビCMを放送するようになったが、店舗開業までまだ時間を要することから、当初は将来の顧客確保という観点も含めて、内容はハウスクレジットカードの「エポスカード」とネット通販のみとなっている。
2014年に入り、開店に向けた準備室を博多区の奈良屋町に設けた。またエポスカードがハウステンボスと提携し、「ハウステンボスエポスカード」を発行、これに先立ち2013年の段階から長崎地区でもエポスカードのCM放送を始めた。店舗名は、2015年7月23日に、コミュニティサイトで一番意見が多かった「博多マルイ」とすることに決定した。博多出店時の報道で、九州内ではほかに熊本市や北九州市への出店を検討していることを明らかにしている。
かつては同業の緑屋(現在:クレディセゾン)との「出店競争」があり、関東圏から東北方面へ店舗網の拡大を目論んでいた時期があった。その際に東北進出の足がかりとして、郡山店を開店させた。
また緑屋が当時進出していなかった東海道方面(静岡県)へは、緑屋進出前に先手を打つという考えから沼津、清水、静岡、浜松の順に4店舗を時期を空けて開店させたという経緯があったといわれている。そのうち静岡店においては、自治体・商店街・出店企業が出店をめぐって調整・協議する場である「商業活動調整協議会」の力がたいへん強かったことから、店舗面積にも大変厳しい注文がつけられた。結果として極めて狭小な店舗での出店を余儀なくされ、隣接する清水店(当時の清水市ではここまで過激な反応はなく、むしろ出店を歓迎されたとも言われる)を増床し、静岡店で扱えない商品を清水店や後に開店する浜松店(こちらも静岡店と違いかなり余裕のある床面積であったといわれる)で展開していたという。
しかし、東海道線エリアは戸塚店・藤沢店・小田原店といった神奈川県内の店舗に加えて沼津店・清水店・浜松店は既に閉店し、東北エリア唯一の店舗であった郡山店も閉鎖するなど、かつての店舗網の拡大路線も大きく軌道修正が図られている。このほか首都圏都市部以外の出店として、熊谷店・前橋店といった高崎線エリアや宇都宮店として栃木エリアにも進出したが全て閉店した。
現在では本拠の首都圏において、南関東のターミナルを中心とした店舗展開を行い、同時に首都圏を脱し京阪神へ進出、また一時期は関連事業を名古屋においても展開するなど、西日本での店舗展開も進めるという「2つの流れ」を見て取れる。
丸井が展開している自社プライベートブランドおよびショップは下記の通りである。
など。
2000年のTOKYO-BAYららぽーとへの出店を皮切りに、自社ブランドの専門店を丸井やモディだけではなく、グループ外のららぽーとなどのショッピングセンターにおいてテナントとして出店したり、単独店舗で出店したりするケースがある。
テナントにおいても出店や業態変更、あるいは撤退を頻繁に行っている。中でも、仙台フォーラスに展開していたテナント5店舗は2009年8月までに全て撤退したほか、初の出店であったららぽーとTOKYO-BAYのテナントも、業態変更等を経て2019年に撤退した。
自社ブランドを特別価格で提供する「マルイアウトレットストア」も各地で展開している。
閉店したアウトレットストア
丸井を語る上で欠かせないのが、クレジットカード「赤いカード(初代)・1975年発行)」の存在である。
丸井はもともと月賦百貨店(割賦販売による月賦払いを中心とする小売店)であった。1960年(昭和35年)に日本で初めて「クレジット」という名称を用い、アメリカから機器を輸入し「クレジット・カード」「クレジット・プレート」の発行を開始した。これは今日のクレジットカードと同一のものではなく、上顧客への月賦払いの完済証明書のようなもので、完済すると発行され、次回の買い物時に回収された。したがってこのクレジットカードは、「クレジットカード」の名称は使用しているが、機能的にはクレジットカードではなかった。このカード、プレートは、販路拡大にも貢献した。同じ1960年末に日本ダイナースクラブが設立され、1961年からJCBとほぼ同時期に本格的なクレジットカードを発行を開始している。丸井では1972年9月の「クレジットメンバーズ」制度発足と同時に、クレジットカード『丸井クレジットメンバーズ』の発行を開始。1975年9月に『丸井クレジットメンバーズ』に替わる、丸井の新しいクレジットカード『赤いカード(初代)』の発行を開始している。『赤いカード(初代)』発行開始当時の1975年 - 1976年頃は、既存の『丸井クレジットメンバーズ』も引き続き利用出来た。1977年夏頃から『丸井クレジットメンバーズ』→『赤いカード(初代)』への取り替えが開始された。
当時は口座振替による返済のシステムもなく、支払い方法は丸井の店頭で直接支払うか、集金員に直接支払うシステムのみであった。自動引落による返済が一般的になった現在でも、セゾンカード(2010年8月廃止)や百貨店のクレジットカード同様に、店頭のカードカウンターへ出向いての返済が可能である。
長らく丸井グループと丸井店舗周辺の加盟店のみ扱えるハウスカードの立場を固持してきたが、1991年(平成3年)にDCカードおよびJCBと提携・一体化した「エムワンカード」(M1カード)を発行する。世界中のVISAまたはJCB加盟店で利用できるようになったが、その分リスクが大きくなることから入会審査が厳しくなり、また支払回数の制限などもあり、あまり発行されずに終息した。
1994年(平成6年)にハウスカードの名称を「マルイカード」に変更したが、2000年(平成12年)に元の「赤いカード」に戻した。
2001年(平成13年)にクレディセゾンとの提携によって、赤いカードとセゾンカードを合体した『赤いカード《セゾン》』を発行開始した。このカードはスイッチカードという提携カードの一種で、利用加盟店が赤いカードの加盟店か、セゾンおよび付加国際ブランド(VISA・MasterCard・JCB)の加盟店かによって、請求が丸井からの分とセゾンからの分に分かれて来るものであり、さらに支払方法や請求サイクルも全く別であるなど、悪い意味で「一枚二役」のカードであった。
2004年(平成16年)10月にはカード事業を分社化し連結子会社の株式会社マルイカードを設立し、VISAのスペシャルライセンシーを取得。2006年(平成18年)3月に長年に亘って親しまれた「赤いカード」に代わり、社内公募によって決定された「エポスカード」(EPOS CARD)を新ブランド名として採用。ハウスカードから脱し、VISA付帯で汎用性を高めたICクレジットカードへと衣替えした。同時に社名も株式会社エポスカードへ変更されている。
1981年に赤いカードでキャッシングサービスが開始。現在ほとんどの「赤いカード」・「エポスカード」で融資枠が設定されており(20歳未満および65歳以上、安定した収入がない人はショッピング専用カードとして発行)、グレーゾーン金利上限に迫る高利のキャッシング利息収益で長い間本業の(分社化した現在は連結)収益の一大部分を占めている。
丸井のカードは店舗従業員のノルマ達成のため、無職者や学生、低所得者層でも店頭で容易に発行されてキャッシングに使えることから、借り逃げなどの貸倒件数・金額によってはその年の業績にマイナス影響を与えるものとなり、「小売店の顔をした消費者金融」と呼ばれることもしばしばある。実際に、グレーゾーン金利撤廃以前のクレジット・消費者ローン事業の営業利益額は物販事業の営業利益額を大きく上回っていた。また、カード勧誘のための「丸井のカードはお持ちですか?」のフレーズは丸井店舗での買い物精算時のいわばお決まりの儀式となっており、その勧誘行為のエスカレートがカード嫌いの層等から丸井での買い物を遠ざける一因ともなっていた。しかし最近では、提携カード化にともなう発行基準・与信の厳格化により以前のような無秩序なカード発行はなく、また、丸井内部での評価制度の見直しなどから、こうした行き過ぎ感のある勧誘などもほとんど姿を消した。
丸井全店舗と関係各店で利用可能な自社商品券。
2025年3月16日に販売を終了したが、引き続き店舗での利用は可能となっている。
2003年に、管理職以外のプロパー社員ほぼ全員を丸井子会社に転籍させ賃金改定する大胆なリストラを実行。丸井の各ショップで働く従業員は、丸井に属さず取扱商品やサービスに応じた販売子会社から「派遣」される(労働法上の人材派遣とは異なる)形態をしばらくとっていたが、現在は、一部の子会社でのプロパー採用社員を除き、持ち株会社「丸井グループ」に再び人員と雇用を集約したうえで、旧販売子会社を祖とする後述の社内カンパニーでの勤務(店舗での商品販売など)をする形となっている。
在籍社員の95%(5,100名:当時)を子会社に転籍させ、消費者ニーズに応え専門性を高め、経営資源の選択と集中を図るという大英断は、実施当時、株主や経済界からは一定の評価を得ると同時に、人件費の高騰と売上減少に悩む小売業界関係者から大いにその成否が注目された。しかしその一方で、この改革を前後に発生した出向と転籍を繰り返す雇用形態の変更、それに伴う人事制度・給与体系等の度重なる見直しによる混乱、完全成果型報酬体系がもたらす極端な年収のアップダウンにより生活設計が立てにくくなったことなどを理由に、旧来の丸井時代から会社を担っていた正規従業員らのモチベーション低下と多数の優秀な人材の外部流出を招いたといわれる。
当時の運営形態は各販売子会社と丸井本体との「業務委託契約」によるアウトソーシングの形であったが、実体として販社社員に対し丸井本体の管理職(店長・副店長など)が直接指揮命令を行っており、これが、いわゆる偽装請負にあたっていた可能性がある。もっとも、これは派遣法の理解不足や見解の相違がもたらした結果であり、製造業等で多発していたような最初から故意に違反行為を承知で実施した施策ではなかった。また、実際に勤務していた販社社員にはこういったビジネスモデル的な説明は転籍に際して事前にほとんどされておらず、それまでの勤務形態と比較してなんら変化を感じるものではなかったため大きな問題にはならなかった。事務代行を主なサービス領域とするマルイスマートサポートなど一部の子会社を除き、丸井本体および販売系子会社は一般・特定を問わず労働者派遣事業の許認可取得・届出はしていない。
その意味では、今回の雇用形態の再転換は事業再編による組織力の強化という目的の他に、こういった諸問題の解消という狙いが含まれていたと推測される。一部の革新系政党や労働団体まで巻き込んで議論がなされた一連の転籍騒動については、現在まで、当時の関係者も含め失敗であったと認める発言等は公式の場では見られない。一説には、この施策に不満を持ち早期退職していった人材数が会社側が当初想定していたものより遥かに多かったという現実に当時の青井忠雄社長が激怒し、施策の推進に大きく関与した関係役員を更迭したといわれるが、その因果関係は定かではない。しかし、“失われた5年間”に浪費した貴重な時間・資金、そして何より従業員のモラールダウンにともなう販売力の低下という大きな損失を招いてしまったことは否めない。同業他社を含めた大手小売業でこの改革に追随した企業はなかった。
株式会社「丸井」および持株会社「丸井グループ」内における、社内カンパニーと関係は以下のとおり。小売事業の他、グループの他の2事業についても触れる。
1991年(平成3年)に消費者金融専業会社「ゼロファースト」を設立し、都市部の駅近くや繁華街のビル1階もしくは平屋建てに店舗を構え、ゼロファースト・丸井のカードのほかにクレジットカード・信販会社・消費者金融・郵便貯金カードが扱えるATM(店舗によっては24時間稼働)を複数台設置するなど独自に事業を行うが、丸井のカードによるキャッシング・入金(弁済)も行う点から、丸井店舗が撤退した地域にゼロファーストを出店する傾向があった。
社名の【ZERO-FIRST】からも分かるように、丸井の0101が由来とされている。また、同社は消費者金融事業の他に、以前は当時の中野本店内に入居していたボウリング場(マルイボウル)の管理運営も行っていた。その後、エポスカードの子会社となった。
2006年(平成18年)11月に、丸井がゼロファーストの事業を大幅に縮小すると発表した。これは「貸金業法の改正による逆風やグレーゾーン金利の撤廃により貸付上限金利が引き下げられると、有人店舗の採算がとれなくなる」との判断によるものあった。同社は2014年(平成16年)10月1日にエポスカードに吸収合併され、2015年9月末で新規顧客の受け付けを停止、さらに関東と静岡地区に74あった消費者ローン店舗を段階的に閉鎖(有人店舗46店を順次無人化し、最終的に無人店舗をすべて閉鎖)していった。2018年現在は、エポスATMおよびセブン銀行ATMで返済を受け付けている。
2007年(平成19年)12月に海外向け通販サイト、MARUIONE.JPが立ち上げられ、日本語・英語・フランス語の3か国語で運営されていた(2018年現在は閉鎖)。「クールジャパン」のコンセプトを基に、ロリータおよびゴシックを含む日本のストリートファッション、漫画・アニメグッズに加え、伝統工芸品なども取り扱っていた。また、同時に立ち上げられた姉妹サイトLiveJでは日本についての情報を提供していた。
丸井はテレビを宣伝媒体として積極的に利用してきた。昭和40年代前後には在京キー局すべてで夜の「スポーツニュース」(当時は5分程度の短いものだった)に番組提供を行い、知名度向上に努めた。日本テレビの『スポーツニュース』(関東のみ、地方によって違うスポンサーが提供)や、『キャッチアップ』(後述)打ち切り後新たに編成された『スポーツホットライン』(TBS)への番組提供がその名残である。
知名度向上とイメージ重視の戦略から、1990年代前半までは在京局や関東独立局のミニ番組に各社延べ102本。[要検証] 提供(すべて一社提供)していたほか、丸井が進出していた静岡・福島地区でも地元局のミニ番組(ニュースや天気予報など)に提供するケースがあった。
当初提供していた番組には30代以降をターゲットとしたものが多く、中高年の夫妻を紹介する『われら夫婦』『ある日の家族』『この店この味』(日本テレビ)をはじめとして、『あの日あの時』『ヨーロッパ発あなたへ』(フジテレビ)、『スポニチ芸能ニュース』→『世界あの店この店』(テレビ朝日)、『和気あいあい。』『各駅停車世界の旅』(テレビ東京)などがあったが、1980年代中頃に入ってからは20代を主軸に置いた番組(下記参照)へシフトしていくようになり、番組内での丸井とのタイアップ(連動企画)も多くなっていった(これらの番組の大半はスポニチテレビニュース社(当時)が制作を担当することが多かったことから、スポーツニッポンのテレビ欄での番組紹介が昭和50年代前半では多かった)。『われら夫婦』(日本テレビ)は1973年1月1日(元日)に放送開始。開始当初は各社の提供で、丸井一社提供になったのは1973年10月から。1979年3月31日で『われら夫婦』は放送終了。1979年4月から『ある日の家族』(日本テレビ)が放送開始。『ある日の家族』も丸井一社提供で、1980年3月末で『ある日の家族』が放送終了。1980年4月から『この店この味』(日本テレビ)が放送開始。『この店この味』も丸井一社提供で、1985年6月末で放送終了。『われら夫婦』『ある日の家族』『この店この味』は、日本テレビで放送されていた丸井一社提供ミニ番組として視聴者に親しまれた。
若者をターゲットにした主なミニ番組としては、トレンド情報番組『キャッチアップ』(TBS)、当時流行の洋楽ビデオクリップを紹介する『丸井サウンドロフト』(フジテレビ)、ニューヨークのトレンドを紹介する『ニューヨーク情報』(後にスポンサー降板)などがあり、その他の提供番組は、アメリカのニュース専門CATV局・CNNの最新ニュースを10分弱のダイジェストにまとめて紹介する『CNNヘッドライン』(共にテレビ朝日)、丸井の旅行部門とタイアップした海外旅行のガイド的番組『Zip's』(テレビ東京)、そして最新の洋楽ヒットに乗せ世界のスポーツ映像を見せる「SPOPS」(テレビ神奈川)など。他にもフジテレビでは『丸井サウンドロフト』の後番組として、大学サークルの紹介番組『ライフサイズTV コンパス』、東京の街そのものをゲームの舞台とした『チキチキバンバン』、有名人が好きなものを10個選ぶ『パーソナル・カウントダウンTen』、東京で暮らす若者の部屋にスポットを当てた『ROOMS』など、意欲的かつ評判を呼んだ番組も制作されていた。
一般的な認知度が関東地区を越えて、全国規模になるのは1979年(昭和54年)にテレビCMで「好きだから、あげる。」が爆発的な反響を呼んだことで、当時春の商戦では髙島屋や三越といった老舗百貨店にならぶ売り上げを記録した。「好きだから…」のコピーを書いたのは、「コピーライターの神様」と称される仲畑貴志である。
丸井のCM展開は1990年代前半までは「番組提供」が主であり、その中で丸井オリジナルブランドやインテリア、そして季節商品の単独イメージCMや「赤いカード」の告知など、さまざまなジャンルのCMを効果的に組み合わせていた。また関東エリアのヤング館共通CMや池袋スポーツ館(のちの「フィールド」)、新宿インテリア館(のちの「インザルーム」)単独CMなども頻繁に流された。さらに4店体制が長く続いた静岡地区でも「静岡限定」として「静岡4店イメージCM」が作られたことがある。これは放送期間は短かったものの、TBS系列の静岡放送では『静岡新聞ニュース』での番組提供時に頻繁に放送されていた。
新店の開店や既存店の新装開店などでは、それぞれの店舗立地のイメージに近い告知CMが多く作られた。例えば「京成百貨店」から経営譲渡を受け新規開店した上野店(マルイシティ上野を経て現在:上野マルイ)では、近接する浅草の「三社祭」をイメージしたもの、浜松店(既に閉鎖)新装開店時には浜松まつりの「凧揚げ」をイメージしたもの、藤沢店(既に閉鎖)開店時には湘南をイメージしたものなど、凝ったCMが数多く作られた。
「丸井試写会」(後述)についての告知CMも提供番組内で流されていたが、丸井店舗があり、番組をネットで受けていた静岡・福島地区では丸井の別のCMに差し替えられていた。これは、招待券の配布店舗が東京周辺の南関東に限られていたことによる。
しかしバブル崩壊をきっかけに様々な事情が絡み、1990年代半ば、レギュラー番組への提供からはすべて撤退した。一部には「番組提供として出している費用が、本来の番組制作にあまり使われていない」という事実を知り、比較的費用が安く上がるスポットCMへほぼ全面的に移行したことが、番組提供撤退の理由ではないかとの推測もされている。その後、単発番組へ散発的な番組提供へ移行し、現在はスポットCMを放送するのみにとどまっている。その後は一時のようなセール告知だけを行う地味なCMばかりでなく、有名タレントを起用したり、シーズン特性や流行に応じたファッション性の高いCMも再び制作されるようになってきている。
東海地区ではインザルーム名古屋の単独CMが、同店が開店してしばらくの間だけ制作・放送されていた。関連事業であり丸井本体の進出ではなかったことから、OIOIロゴは一切表示されていなかった。
丸井のCMはラジオも含めほぼすべてが「エイムクリエイツ」(旧丸井広告事業社)によって現在まで制作されている。
池袋スポーツ館(のちの「フィールド」)のCMソングは、大瀧詠一が制作し、歌唱もしている。この曲は当時、スポーツ館内でも常時BGMとして流されており、レコードやCDでは店内で流されていたものと同じくフルコーラスバージョンで収録されている。尚、大滝が笛吹銅次としてミックスしたオリジナルバージョンと吉田保のリミックスバージョンの二種類がある。
坂本龍一が初めて手掛けたCM曲は丸井のメガネである。
2012年(平成24年)からは通販サイト「マルイウェブチャネル」の宣伝を丸井未出店エリアを含む全国で展開するようになった。当初は新聞広告や、電車の車内広告が中心だったが、2013年(平成25年)よりテレビCMも製作・放映されている。
2018年には、以前からコラボをしていたテレビ東京のアニメ「銀魂」のスポンサーについている。
かつてはクリスマス3大(恋愛至上主義の観点から3悪という皮肉もある)媒体の1社(あとはJR東海(クリスマスエクスプレス)、POPEYE)と呼ばれた時代があり、1987年 - 1991年のdip in the pool、1992年 - 1994年のサザンオールスターズのCMも取り上げられたこともあった。
2019年の9月には、先行での9月20日の上映前からアニメ映画HELLO WORLD (映画) とのコラボでのスポンサーがスタートし、2019年9月19日から9月25日までのマルコとマルオの7日間のCMに使われた。同じく、2019年11月には、先行での12月3日の上映前からディズニー映画のアナと雪の女王2とのコラボでのスポンサーがスタートし、2019年11月22日 - 11月28日までのマルコとマルオの7日間のCMに使われた。
2020年3月20日から開催予定だったマルコとマルオの7日間は、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の流行の影響により、開催が中止となった。また、マルイ全店の営業時間を短縮にしたり、3月28日以降の土日の外出自粛時は、一部の店舗が休業および食遊館のみ営業となった。また、マルコとマルオの7日間のCMは、開催中止に伴い、ACジャパンのCMに差し替えられた。
5月20日から開催のマルコとマルオの場合、5月31日までの12日間、通販の「マルイウェブチャネル」のみで行われたが、神戸マルイ、なんばマルイ、博多マルイ、静岡マルイおよびモディのみの営業再開だったことや関東地方の丸井は、5月31日まで、臨時休業だったことに伴い、再び、ACジャパンのCMに差し替えられた。
2020年7月開催および2021年1月開催のスパークリングセールのCMも『新型コロナウイルス(COVID-19)』の影響でACジャパンのCMに差し替えられた。
ラジオでの広告展開もFMを中心に行っており、関東地区での民放FM多局化以降、FMヨコハマ「MARUI 24CLUB」を始め、数局で番組提供を持った。
また、昭和50年代半ばに 文化放送で「パンプキンパンプキン」(パーソナリティ:加藤タキ)という女性向け15分の深夜番組を提供していた。初期は試写会のお知らせ以外のCMなし。後期はプレゼントコーナーで尾崎亜美の「FOR YOU」(「好きだから あげる」キャンペーンソング)のBGMを使用しプレゼント商品を告知することにより実質CMにしていた。
宣伝活動のひとつとしての「丸井試写会」(会場:中野サンプラザ)も定期的に行われていた(試写会の告知CMについては前述)。チケットは都内主要店舗で配布されていたが、晩年は余程の話題作でもない限り話題になることは少なかった。しかし、会場のお膝元である当時の中野本店では、スパークリングセールなどの催事以上に、試写会チケット争奪のために長い列ができるといった現象が起きるほど人気を博していた。創業地でもあり地元に密着した中野本店ならではの光景であり、いったん閉店した同店を住民の声に応じて再開店させるという施策にもつながっている。
かつては社内に野球部を持ち、プロ入り前の大杉勝男などが所属していた。
1980年代、ASPワールドツアーの大会スポンサーに積極的に進出。千葉県・九十九里海岸で毎年開催されていた丸井プロサーフィン世界選手権は、多年度に亘って冠スポンサーを務め、「丸井プロ」の通称で非常に有名であった。また、他に開かれていたウィンドサーフィン大会にも後援や冠スポンサーとしてかかわることが多かった。
この時期には日本たばこ産業が後援するサムタイムワールドカップが静岡県・御前崎で開かれており、サーフィン愛好者からは(広義の関東エリア内での大規模サーフィンイベントとして)「西のサムタイム、東の丸井」などと持てはやされていた。
丸井店内では1980年代まで、テレビでの宣伝活動と平行して月刊のフリーペーパーも配布していた。内容は、取り扱いブランドや商品の情報、着こなしの提案と丸井自体のお知らせなど。また当時店舗網の拡大を進めていた時期でもあり、新店情報や一部タウン情報的なものも掲載されていた。このフリーペーパーは1990年代に入り、通販カタログ(Voi・Men's Voi)やカード明細への添付パンフレットに形を変えていくこととなる。
1980年代に活動していたコントグループ、コント赤信号の持ちネタとして、服装を一流ブランドで固めたリーダーの渡辺正行に「それだけ揃えるの高かったろう?」とメンバーの小宮孝泰が訊くと、「赤いカード」を出して「丸井よ!」(=全て月賦)と答えるギャグがあり、月賦の丸井の名を高めることとなった。
秋本治の代表的なギャグマンガ「こちら葛飾区亀有公園前派出所」にも寺井修一なる警官が、改名により当百貨店の「ヤング館」に由来する「丸井ヤング館」と名乗ったことがあった。
1999年に公開された大映の怪獣映画『ガメラ3 邪神〈イリス〉覚醒』では、劇中冒頭の渋谷におけるガメラとギャオス・ハイパーの戦いの中でマルイシティ渋谷時代の渋谷モディが登場し、ギャオス・ハイパーの超音波メスによって建物が切断・破壊されている。ただ製作に当たって、丸井は建物破壊の描写は承諾したものの名称使用については難色を示したため、ビル壁面の「0101」ロゴは「9191」という架空のロゴに変更された。
丸井成増店(1962年10月13日)
丸井荏原店(1963年6月2日)
丸井浦和店(1963年9月28日)
丸井池袋西口店(旧)(1964年2月28日)
丸井柏店(旧)(1964年5月1日)
丸井千葉店(1964年9月23日)
丸井横浜伊勢佐木町店(1965年2月27日)
丸井横須賀店(旧)(1966年2月26日)
丸井自由が丘店(1966年8月26日)
丸井沼津店(1966年9月25日)
丸井土浦店(1967年3月3日)
丸井新宿家具センター(1967年3月20日)
丸井宇都宮店(1967年9月23日)
丸井所沢店(1968年2月24日)
丸井小田原店(旧)(1968年3月23日)
丸井前橋店(1968年4月20日)
丸井下北沢店(新)(1968年8月25日)
丸井蒲田店(1968年9月21日)
丸井清水店(1969年2月22日)
丸井厚木店(旧)(1969年8月23日)
丸井静岡店(1969年9月21日)
丸井立川店(丸井立川ショッピングビル)(1970年2月20日)
丸井熊谷店(1970年2月14日)
丸井池袋東口店(1970年2月28日)
丸井川越店(旧)(1970年2月28日)
丸井中野本店(丸井中野ショッピングビル)B館(1970年6月14日)
丸井水戸店(丸井水戸ショッピングビル)(1970年7月25日)
丸井土浦店(丸井土浦ショッピングビル)(1970年10月10日)
丸井八王子店(丸井八王子ショッピングビル)(1971年2月3日)
丸井渋谷店(丸井渋谷ショッピングビル)(新)(1971年2月25日)
丸井中野本店(丸井中野ショッピングビル)【ファッションのA館】【インテリアのB館】(1972年5月27日)
丸井宇都宮店(丸井宇都宮ショッピングビル)【ファッションの本館】【インテリアの新館】(1972年6月24日)
丸井川口店(1972年8月26日)
丸井自由が丘店(新)【A館】【B館】(1972年9月2日)
丸井川越店(新)(1973年8月25日)
丸井柏店(新)(1973年9月29日)
丸井浜松店(1974年8月24日)
丸井船橋店(1974年10月25日) 丸井厚木店(新)(1974年10月26日)
丸井小田原店(新)【駅前広場の新しいお店】・ヤングマルイ小田原【お城通りのファッションのお店】(1975年2月22日)
丸井横須賀店(新)(1975年5月24日)
丸井郡山店(1975年11月8日)
丸井横須賀店【ファッションとインテリアの店】・丸井横須賀店(別館)【電器とレジャーの店】(1976年6月17日)
丸井渋谷店【ファッション本館】【インテリア新館】(1976年9月23日)
丸井ニュー池袋西口店(1977年2月25日)
丸井津田沼店(1978年2月23日)
丸井所沢店(1978年8月26日)
丸井横浜店【馬車道館】(1980年5月22日)
丸井横浜店【馬車道ファッション館】【伊勢佐木インテリア館】(1981年9月22日)
丸井大宮店(1982年9月28日)
丸井新宿店【ヤング館】【テクノ館】【スポーツ館】【インテリア館】【ファッション館】(1984年3月)
丸井渋谷店【本館】【ヤング館】(1985年4月19日)
丸井川口店【本館】【インテリア・電器館】(1985年5月24日)
丸井戸塚店(1986年11月1日)
丸井八王子店【本館】 【ヤング館】(1987年?月)
2005年度の都市別店舗売上高伸び率ランキングで丸井の好調ぶりが目を引く。東京で新宿店以下1-4位を独占。神戸では03年10月に開業した関西地区初の店舗が2ケタ増でトップに立った。今秋の大阪・難波、来秋の東京・有楽町と新店計画が目白押し。大型店大競争の台風の目となりそうだ。丸井の強みは商圏の盛衰に応じ店舗のスクラップ・アンド・ビルドを繰り返す機動力にある。07年、新宿店に約9,000平方メートルの新館を開業。同時に新宿店の中核である「マルイシティ新宿」の建て直し工事に入る。同館は約1年半前に改装したばかりで売り上げも伸びているが「使い勝手が悪いから」とあっさり建て替えを決めた。見切りの速さは成長力を失った店の撤収にも表れる。「赤字かどうかだけでなく店舗効率も加味する」(青井浩社長)。8月13日、売り場面積8,200平方メートルの埼玉・川越店を閉めた。神奈川の藤沢店に続き、今年2店目だ。この10年で6店舗を出す一方、閉鎖は19店舗を数える。にもかかわらず、小売部門の営業利益は伸びている。川越店が開業した1970年、丸井は29店舗だったが、売り上げが10倍以上になった今は27。再配置と大型化を同時に進めてきた。だが下位にも登場するなど個店の競争力にはまだばらつきが大きく、新陳代謝が欠かせない。